2017年5月31日水曜日

Googleのザハハディド

今日のグーグルはザハハディドを祝ってた。


誕生日でもないし、どういう日なのだろうと調べてみると、2004年5月31日(つまり今日)女性として初めてプリツカー賞を受賞したそうだ。ソースはアルジャジーラ

Zaha Hadid: The only woman who won the Royal Gold Medal http://www.aljazeera.com/news/2017/05/zaha-hadid-woman-reshaped-modern-architecture-170530200456379.html

日本語でザハハディドについて調べると、磯崎新の1年前のコメントが結構上の方に上がってくる。

「<建築>が暗殺された」磯崎新さん、ザハ・ハディドへの想い綴るhttps://www.buzzfeed.com/jp/daichi/isozaki-note-for-zaha?utm_term=.oiV2aaDdg#.pylkjj9Oy

ほんとうに日本が当初の案を建設できなかったのは残念だなぁと思う…いまだに悔しい。

あの頃からおかしな日本の構造は表面化していたのだなと思う。

土岐麻子を聞く


最近、友達に教わった土岐麻子をよく聞いている。

アルバム PINK
https://open.spotify.com/album/6nws9VsVysrP1DvIjnBSyD


ちょっと昔っぽい曲だけど、妙に落ち着く。
歌詞はムカつくほど、表面的なんだけど、なんかそれでいい。

そしてPVかわいい
BOYフロム世田谷

2017年5月24日水曜日

2017年5月22日月曜日

網の中にくるまっているだけでは





網の中にくるまっているだけでは、自分が何者だかわからない。


網はくるまるものではなく、投げるものである



私の舟はどの方向に向かっているのだろうか




目印のない海を漂い続け、だいぶ時を経た




ここはどこ?

2017年5月2日火曜日

今日から変えよう。今日から変わろう。

あえてキモいタイトルをつけてみた。自己啓発本みたいだけど、真剣に自己啓発が必要な状態の私である。


これから研究室に戻って、モリモリと論文を書く予定である。


赤裸々に書いてしまえば、まだ論文は1000文字を切ったところだ。「初めに」しか書いてない 締め切りは一か月以上過ぎていて、渡航しようと思っていた5月になってしまったのにチケットや渡航準備が全くできていない。

どうしてなんでこんなことをしているのか自分でもわからない。

わからないといって言い訳をしているだけのような気がする。
自分の手から生まれおちる、つまらなくて、意味もなくて、意義もない文字の塊を批判されることを恐れて何も書けないままなだけなのである。


本当につまらない自意識だ



きっとそうなんだろう。




そんなことをいくら思っても仕方ないので、泣きながら、つまらないものを一つ書こうと思う。




一か月いや二か月?もじもじしてようやくそんな風に思えた。本当にコストパフォーマンスが悪い。というか、自分をコントロールできていないのだと思う。自分をどうやってコントロールしていたっけ?今までできたことがあるんだろうかと真剣に考えてみる。


大体人もしくは金に頼って、モチベーションを上げてきたと思う。

高校受験の時は、受験直前(確か夏休みあと?)にさすがにこれはやばいと思い、親に頼んで塾に入れてもらった。 何とか滑り込みで合格。

高校時代は算数ができなかったのに、滑り込みで合格してしまったがゆえに数学でとてつもなく落ちこぼれに。理系クラスだったのに。だから算数ドリルとか買ってみたけど、自分だと続かないので、齢17歳にして公文式デビュー

まあ、結局理系はあきらめて、高校三年生で文転。
アメリカの大学に行く夢を追いかけTOEFLを受けるが惨敗。こりゃだめだとなり、国内の大学を受けることに。第一志望だった大学の英語の科目が TOEFLそっくりだったので、高校時代に通ってたインターナショナルスクールの夜間部の先生に頼んで対策をしてもらう。(絶対その先生はつまらなかったと思うけど笑)

またまた滑り込みで大学へ。
大学院に入るときも一緒で、試験対策はじめたのは2ヶ月前。学部の指導教官に「時間無いから、ヌアー族精読したらいいよ」と的確なアドバイスをうけ、ひたすらそれをする。そしたらまたまた滑り込みで大学院へ

こうして振り返ると見事な滑り込み人生である。
そして教育にしこたまお金をかけてる。ありがとう両親。


たぶんこれからは自分で自分をコントロールしなきゃいけないんだろう。


2017年4月14日金曜日

誰かに怒られないと何もできないないなんて、ほんとうにカスでしかない。でも、今してることって所詮その程度のこと(自分にとってそこまで大切じゃないこと。あ言ってしまった)なのかもしれない。でもここまで来てしまったのだから、どうにかこうにか形にはしなくてはいけないのであるし、自分のためにもやったほうがいいとおもう。

2017年4月12日水曜日

思い出したこと

小学校の歴史クラブメンバーだった頃。小学校高学年のとき、土曜日だったかな?に週一回だけ行うクラブ活動の時間というものがあった。バレーとかスポーツ各種、茶道、生花など習い事っぽいことなどいろいろあった。どれも学校の先生ではない地域の人々を講師に招き、行っていた。多分地域と学校の交流活動みたいな位置づけだったのだろう。そこでなぜか僕は歴史クラブを選んですごく楽しかったことを、河川敷を歩いていると思い出した。



いま考えると、不思議な人々が集まっていた。他のクラブ活動は十数人いる大所帯なのだが、歴史クラブ員は僕1人だけだったとおもう。3人だったような気もするのだがうまく思い出せない。とりあえず、熱心な部員は僕だけだった。

そして顧問の先生は算数を主に教えていた、おばさん教員、後藤先生である。この先生は1mlを教えるために出してきたティースプーンを「後藤先生の小さな魔法のスプーン」とよんでいたり、「後藤先生のおならはバラの香りよ」といっていた。まあ小学生に人気が出そうな先生である。僕も好きだった。算数は結局好きにならなかったけど…

そして地域から招待されたのが、街で営業しているのか不安になる小さな食料品店を営む森田さんである。森田さんは夫婦ともに熱い共産党員で、いま思えば街の人からはちょっと白い目で見られていたように思う。そうここは自民党王国北陸だから。森田さんは当時すでに70歳くらいのおじいさんで、すごくカリガリに痩せていた。食料品店の奥の座敷には日本人形とか各地のペナントがごちゃまぜに飾られ、後藤先生と僕が座るといっぱいいっぱいだった。

森田さんの歴史クラブは凄まじく濃く、素晴らしいフィールドワークだった。毎回まず行く場所が決まっている。それは地元の神社や、弥生時代や古墳時代の遺跡、道に建てられた碑の類などである。その行く場所に関わる古文書が引用された資料を森田さんは毎回作ってきた。そのプリントの解説を学校で聞いたのち、森田さんの所有する、スズキの2ドア軽自動車でフィールドへ向かう。

遺跡は田んぼの真ん中の何にもない所だったりするので、車がやたら揺れるのである。酔いそう・・・と思った頃に到着する。古墳といっても今ではただの山、でも登ってみると市内が一望できたりして、感動した記憶がある。森田さんは古文書や木簡の類を引き合いに出しながら、考古学的にどんな豪族がこの地を治めていたのかを解説してくれた。この地域が地形的な理由から穀倉地帯だったこと、大和豪族との婚姻関係、古墳時代の豪族は見晴らしのいい所に墓を作ったなどなど。また弥生時代と古墳時代の集住の仕方の違いなども実際の地形を見ながら学んだ。大学時代に日本考古学の授業を取った際、全く同じ解説を同じように受けて大変驚いた。森田さんは大学レベルのことを小学生に行っていたのである。

森田さんの歴史は古墳時代にとどまらない。神社には牛の像があったのだが、その牛の像から、菅原道真の話、その子孫を名乗った前田家の話などがつらつらと述べられるのある。ただ結論は、なぜこの神社にこの牛があるのかわからないというものであった。なぜなら、天神社でもないし、前田氏と関わりのある神社でもないためだ。寄贈者の村人の名前はあるがなぜ牛の像を奉納したのかはわからないと森田さんは結論付けていた。わからないという結論でいいのか!と感銘を受けた記憶がある。

また、ある日は線路沿いに建つ碑と廃線跡を探しに行ったりもした。その碑は北陸本線建設のために亡くなった方々を供養した碑で、もう朽ちかかっていた。その付近には建設省とかろうじて読める石が転がっており、建設時の引き込み線の廃線跡だとわかった。そこでもその時代なぜ北陸本線が建設されたのか、どのくらい困難な工事だったのかなど文献を参照しながら、菜の花の揺れるあぜ道で講義が行われた。

そういったフィールドワークからもどると、森田さんの家に招待され、陰気な奥さんからお茶をいただいた。(奥さんのことは苦手だった。森田さんと違って狂信的に共産党を勧めてくるから)お茶をいただきながら聞いたことでいまでも覚えているのは、「報道は必ず誰かの目線で書かれたものだから、真実を知りたければ、現場に行き、自分の目で見て耳で聞かなければいけない」と言っていたことだ。実際森田さんは万景峰号が来航したとき新潟まで見に行ったそうだ。きっと、その精神から歴史クラブの活動はフィールドワーク中心だったのだと思う。


いま振り返れば、小学校で一番楽しかったのはこの歴史クラブの活動かもしれない。そしていま人類学という学問をやっている原点はここにあるような気がする。僕の身体に森田さんの言葉が残っているのかもしれない。













(人名は仮名です)


2017年4月8日土曜日

不眠と異国感

男は目を覚ます。時計の針は4時を指している。外は薄ら明るくて、男には明け方なのか夕方なのかわからなかった。とりあえず起きてみると雨音が聞こえる。かなりひどい雨だ。昨晩はうまく寝つけず、明け方まで起きていたように思うから、きっとこれは夕方なんだろう。

雨が降り続く。男の部屋は木造二階建ての二階で、広さは大体京間の6畳。ベッドを置いているから実質4畳半くらいといったところか。長屋のような、その建物は築100年
を超えていて、趣き深い(古い)。いつもなら朝の鶏の鳴き声(うるさい)で目覚めるのだが、ここ一週間ほど眠れないので、鳥の声を合図に気を失うといった具合だ。

半分寝ぼけながらシャワーを浴びると何か食べなくてはいけない気がしてくる。外に出よう。その辺に落ちている黒いスラックスをはき、暗い臙脂色のボタンダウンを着る。暖かくなってきたのに、暗いなと思い、明るい空色のオックスフォードシャツに変える。

外に出てみると新入生歓迎会(新歓)の季節だからか20人くらいのヒトの群れが歩道の東大路のあちこちに発生している。雨で灯り始めた街燈が霞む。体は朝、寝起きなのに世間は真っ暗で不思議な感覚だ。そう、時差ボケみたいだなと感じる。なんだか寝起きでフアッとしたまま深夜の空港を出て、連絡バスに乗り、中央駅につき、見知らぬ街のしっとり濡れた石畳の上を、宿が見つかるかなと不安に思いながら歩くあの感じ。僕にとっては深夜にフランクフルトに降り立ち、ルクセンブルクの町に向かう小さなバスに乗り込み、終点の駅で降りたはいいが、止まる予定のホステルの場所がわからない。あの何とも言えない体の疲労と、時差とがあいまった異国感を毎日住む町で味わった。不眠のおかげで。


人によって遠くに来たなと感じる部分はそれぞれだと思う。言語、人間の顔、食事、気候、雰囲気…でも僕にとっては、「時差感」とでもいうべき身体の浮遊感、まるで昨日に身体だけを置いてきて、脳みそだけここにある感じ...こそが、遠くに来たなと感じさせるんだと思う。

2017年4月2日日曜日

体温

温度に敏感になれる寒い季節が好きだ。

とくに体温は人間がそこにある、いるということを言葉なしに教えてくれる

体温が伝わることは一番の承認だったりもする

そしてある種の暴力、抗いがたい力の表象としての体温も


なるほどこうふわっとした抽象的なことを書いても伝わってないような気がする



2017年3月5日日曜日

全てはあいまいさと矛盾の中に

この気持ちを言葉にしたいと富に願う

しかしながら、言葉にしてしまえば、その気持ちが本当ではなかったように思う

この形を言葉にしようと試みる
しかしながら、言葉にしてしまえば、その形を完全に表現していないように感じる


ずっとかくれんぼしていたい。でも隠れたまんまでは本当に忘れ去られてしまう。
そして自分さえもかくれんぼしてた事を忘れてしまうのかもしれない。それはそれで幸せなのだろうか。


この人間と誠実に接したいと考える
しかしながら、その場しのぎの保身を試みてしまう。


嘘が嘘で嘘を覆っていく。真実が真実で真実を削っていく。その先にある形は何?
それは嘘?真実?それともその間の何か?



本当の事を話しつづけるのは難しい。本当の話は面白おかしくないから。
でも本当の事を話して面白い事がいいことなのかな。

2017年2月27日月曜日

時間が早すぎる

この一ヶ月本当に何もしてなくて、何もできてなくて、いろいろとチャンスをミスしてて、何にもうまくいってないように見えて、でもそれって自分がまったく何も努力していないだけで、でも何を努力するのかわかんなくて、そんなことは言い訳に過ぎなくて、多分目の前にあることを、目の前にある本を読めばいいだけだと思うのだけど、いろいろとだめで、だめって言って逃げてるだけで、本当に意味わかんなくて。

2017年2月19日日曜日

ああ

携帯を北海道の雪山においてきてしまった・・・

探したけどパウダースノーすぎて見つからなかった・・・


春になったら迎えに行こうかな・・・



もうすぐ電池が切れて、現在地情報もわからなくなるでしょう・・



なんか携帯を看取る気分だわ・・・

2017年2月11日土曜日

このblog

実はこのblog、高校生の時からやってるんだが、どうしてこうも無駄なことを公共空間に垂れ流すのがこんなにも好きなんだろう…

2017年2月10日金曜日

私の周りで悩んでいる人



 かなわないというエッセイを読んだ。
私の周りで悩んでいる人の多くの人が陥っている困難に、筆者も面しており、その困難を少しずつ克服しようとする部分が面白かった。

224ページから始まる、漫画家の先生とのカウンセリングのようなチャットのやり取りの部分である。

筆者は漫画家とのやり取りから、自分の生きづらさや子育ての不安が、自己肯定感のなさから生まれていることに気がついていく。
そしてその自己肯定感のなさは幼少期の母娘関係から生まれたと漫画家は分析していく。この世にいていいんだという根本的な自己に対する肯定感を母親から得られなかったのだと。


「自分を愛するように、他者を愛する」という言葉が本の中にあった気がする。


よく聞く言葉だけど初めて実感を伴っって理解できた気がする。

本ではインナーチャイルドによる自分の幼少期の振り返りなど興味深い(カウンセリング業界では当たり前なのかも)事象があるんだけど、まあいいです。


職業でもある自分の写真作品の良さが、最近、わからなくなってきた筆者を漫画家が諭して、
「あなたのよさはあなたが知っています。…あなたは自分の写真を全く信じていないので、コンテストや偉い人の評価がよければいい写真だ!とおもい、ダメ出しされればダメなんだ!と思うようなもんです。評価が低くてもいいものはいい!そうこっそり思ってることが自信です。…あなたは目の前の人が喜ぶ写真だけに価値があるんだといってるわけです。」

あーそうですね。

自信か…

私はそれなりに自己肯定感があるほうだと思うが、すぐに他人や情報に影響される。そして目の前の人を喜ばせようとして二枚舌のようなことをしてしまったりもする。


2017年1月26日木曜日

気にしないことは軽視していること?

私が最近、ある質問された時に
「私は気にしないよ」と軽い気持ちで言ってしまい、あ、これってよくないかも?とふと感じることが度々あった。

I don't mind(かまいませんよ)  とI don't care(どうでもいいよ)を注意して使わなければと思った、と言えば良いだろうか。

つまり、私の言い方では相手が「どうでもいいよ」と聞こえてしまったかも、と恐怖を感じたのである。私自身もその事柄を尊重してはいるのだが、「ある意味」どうでもいいことだと常々感じているのでつい、食い気味に「私は気にしないよ」と即答してしまい、なんか感じ悪かったなと思ったのである。

 抽象的に書いていると大変分かりにくいので、個人がわからない程度に具体的に書いておこう。というか以下のような場面に3度くらい直面していて、どれもそういう対応してしまったのでなんか個人的に腑が落ちないのである。



ゲイの友人に「そういえば俺ゲイなんだけど」と言われた時である。つまりカミングアウトされた時ってことかな?

個人的な心情を詳しく描写すれば、友人のことはゲイでもそうでなくても友人だし。個人的にも異性愛至上主義者ではない、のでそういう本質的な次元においても相手がどんな対象を性的に嗜好してもOKと思ってる。

ここまで書くとまた、「あやしいな」と思ってしまう。 なんだ「OKと思ってる」って。
 とんだ偉い奴だなお前は。

BTW
自分があまりに気にしていない事柄(相手のsexual orientation)に対して食い気味に「僕はどっちでもかまわないよ」といってしまった事に後悔している。なぜなら相手にとってはその問題が(カミングアウトするか否か)とても重要で大事な判断だったかもしれないから。

ここまで書いて言い訳みたいな事を書いておくと、私はマジョリティーの中にいる無関心で無知なマジョリティー側の人間ではないと思っている。例えば日本人がマジョリティーの世界(日本)で行きている日本人は自身の日本人性に無自覚だといったような事(日本人を異性愛に置き換えてもよい)。まあ思ってるだけだけど。

2017年1月8日日曜日

そう、それはちょうど季節のよう

そう、それはちょうど季節のよう。


春、一斉に芽吹くとき、すべてが連鎖的、加速度的に動く。



冬、世界は未だ見ぬ春のため静まりかえり、彼は一人だけ遺されたかのように感じる。



でも、確実に時は進む。


そして春が来る。

春は嫌いだ

2016年11月24日木曜日

上橋菜穂子「精霊の木」を読んで

上橋菜穂子のファンタジー処女作、精霊の木を読んだ。

1989年にこれだけ、政治的にバランスをとった植民地主義批判的な物語を、しかも物語として完成された形で書けるのはすごい!とまず思った。

読みながらずっと考えていたのはやはりアボリジニの同化政策だし、実際にオーストリアで行われた事実をもとに物語が構築されているのがとてもよくわかる。

あとがきで筆者が指摘しているように、この物語は植民地支配の結果滅ぼされた人々をヒーローとして、主人公として描いた作品である。

ただ、この物語はそんな政治性をごり押ししてくるのではなく、家族愛や思春期の青年の心の葛藤も同時に描き、エンターテイメントや文学として成立しているのである。すごい。

物語の締めくくりも妙にリアリスティック、つまり、裁判沙汰になっていき、社会がどのようにこの問題をとらえるのかを問う形で幕が降りる。

児童書に綿菓子のような甘い終わりかたを望む人にとっては、気に入らない終わりかたかも知れないけど、私にとってはすごくしっくり来る終わり方だった。

ただ一日たって考えると、

2016年11月17日木曜日

ユリシーズの瞳

どうにもやりきれなくて、映画を観た後、サルミアッキ入りのウォッカを一気に飲み干した。買ってから、もう何年も経っているせいか味が変わってる気がする。
口の中はサルミアッキ独特の刺激臭と少しのあまさで充満する。胃の奥底から食道にかけてまるで炎に焼かれているように熱い。

ウォッカが合う映画だ。




旅なんて何も得られない


でも人間は旅を続ける。


それは愛する人に、旅の話を聞かせるため



生き残ったものだけが語ることを許される。生き残ったものは常に多くの別れと共にある。人一倍数多くの。





今日はすごく文学的インプットが多い日だ。午後に三島由紀夫の「愛の処刑」を読み、あまりの生々しさに吐きそうになり、そのまま、ユリシーズの瞳を観てしまった。観てしまったというべきだと思う。3時間もあるのに。そしてこれから邦画を観に行こうとしている。本当は観に行きたくない。ユリシーズの瞳(私は「オデュッセウスのまなざし」と訳したい)の余韻や考えなければいけないことを忘れてしまいそうだから。でもなぜか、私は映画館に行ってしまう気がする。今日はそんな日だ。

2016年11月11日金曜日

人間ってうまくできてんな

宇多田ヒカルが、亡くなった母のことを歌った、「花束を君に」をやらなきゃいけないレポートを前に聞いていたら、ブログのこの記事をつい読み返した。

筆不精
https://ukihoku.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html

これは僕の父が亡くなった時に書いた文章である。
この記事を読むと、2012年の11月に亡くなったのだなということがわかる。

不幸は蜜の味、幸せは努力 
https://ukihoku.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html

そしてこちらは、闘病中の父に説教するつもりで書いた記事である。全く偉そうだ。いまだったらこんなこと書けない。自分も弱いことをほとほと理解したから。

はっきり言って、宇多田ヒカルのように父のことを美化して回想することは全くできないけれども、4年経って、このころの自分をようやく客観視できるようになった気がする。上の文章を見てもわかるように当時の自分は本当に荒々しく、現実を正視した気になって全く何も見えていない。

ある映画をみて、死にゆく人はどれだけ強い人でも、生きたいと願うのかもしれない。それこそが人間らしさなのかも、そして現世への愛なのかもしれないと感じた。そんな風に感じるのは僕にとってとても特殊なことだ。

今までの僕は死ぬことなんて当たり前で、特に悲しくもなければ、名残惜しくなる必要なんてないものだと、妙に達観していた。いまでも、別にいつ死んでも変わらないし、「明日君は死ぬ」と言われても粛々と受け入れられるような気がする。しかし、「愛」というものがもしあるとしたら、現実世界においてそれを感じることがあるとすれば、死んでしまうことを悲しく感じられるのかもしれないとも思う。死とはすなわち、愛せなくなることだから。


その点、上記の映画はラストシーンにおいて、死んでも人を愛し続けることが可能だということを示してくれたように思う。救いを与えたのだ。


でも、それってどうなんだろう?


さあ、あしたの発表レジュメを書かなくては。現在0ワード。