他者との出会い方にはふた通りある。
洞窟の入り口から差し込む光によって映し出された自分の影を「他者」と錯覚するように出会うやり方と
自分の孤独に向き合い、自分を縛っていた縄を外し、洞窟を出て、太陽の下で他者と出会うやり方。
前者のように出会うやり方だと、他者の顔をみているようで、毎回自分をみている事となる。
洞窟の壁に映った影を見て、その影の動き、表情を感じ取り、一日が終わる。それは自分の影なのだが、自分が縛られていることに気がつかないので、影が自分のものだとも気がつかない。
それだけならまだいいが、自分の思ったような影にならないと、その影を攻撃する。
影を捕まえたくて手を伸ばすが、手には手枷がかかっている。
そんなことはもう懲り懲りだ。
自分のからだを縛っているものは何か、実は縛られていないのに洞窟の入り口から目を背けているだけなのか。影を観察する前に自分のからだを調べる必要がある。
手枷の鎖はすっかり腐っているのかもしれない。
着想
洞窟の比喩(プラトン『国家』)