2016年5月24日火曜日

人類学の意義

きっと、緻密な文章、精緻な描写、筆者がフィールドで行った体験を読者に疑似体験させる風景の再現性があるからだと思う。目の前に広がるサモアの海、むわっとしたヤシの木の間を通り抜ける風 、潮と油の匂い。

エスノグラファーになりたい人はこういった表現を世界に対して行いたい人だと思う。でもそこがいつも人類学者が問われる、「ルポルタージュと何が違うの?」問題である。

先日もちょうど、名古屋の地下道で、工学部で勉強する友人に「人類学の人はどんな社会的な意義から研究しているの?社会的な要請は研究テーマにつながるの?」と聞かれて必死に答えになってない答えをしたばかりだ。

人類学は、字が表すとおり、「人類」の「学」だ。

つまり人類とは、人間とは、人間がなぜ生きるのかということを問題にしている学問だと思う。

それ以外に「意義」は必要なのだろうか。

2016年5月17日火曜日

マリリンストラザーンを読んで

授業で英国の人類学者、マリリンストラザーンの論文を読んだ。

ああいう論理展開をつなげてある論文を読むと、読解にすごく手間がかかって、同じ次元で話を展開できなくて、大学院にいていいのかなと思ってしまう。

ゼミの後院生室で先輩が「西欧人とは」ってひとくくりにしちゃったりするところがすごいよね。と言っていて、確かにと思った。

ほとんど意味のない文章書いてるな。
その先輩も言っていたが、ストラザーンのそういう英国人的な偉そうな態度には少し疑問を感じるが、彼女の理論は地に足が付いているし、おそらく民族誌的経験から導き出された、もしくは頑張ってひねり出したであろう議論のため面白いんだと思う。

あのくらいの議論をするためにはやっぱり、いろんな本を読まなくてはいけないんだなと、修論計画が全くの白紙の私は思う。

圧倒的に読んでいる量が少ないと日々感じる。学部の時も思っていたけど、やはり賢い人々に囲まれていると触発されますね。環境とはとても大切である。

「君はなにしたいんや?」と聞かれるんだけど、そこに答えが出せない…
だってそれって俺の20数年の人生そのものの質問だし…

いま心の片隅で、フィールドに出れば何か運命的な出会いがあるんじゃないか、運命的に興味をもてる対象を見つけられるのではないかと思っている自分を叱りたい。


2016年5月14日土曜日

気がつけばもう

気がつけばもう五月ですね。

あっと言うまに、修論計画の発表が近づいているやばい。

頑張ろう。