2017年1月26日木曜日

気にしないことは軽視していること?

私が最近、ある質問された時に
「私は気にしないよ」と軽い気持ちで言ってしまい、あ、これってよくないかも?とふと感じることが度々あった。

I don't mind(かまいませんよ)  とI don't care(どうでもいいよ)を注意して使わなければと思った、と言えば良いだろうか。

つまり、私の言い方では相手が「どうでもいいよ」と聞こえてしまったかも、と恐怖を感じたのである。私自身もその事柄を尊重してはいるのだが、「ある意味」どうでもいいことだと常々感じているのでつい、食い気味に「私は気にしないよ」と即答してしまい、なんか感じ悪かったなと思ったのである。

 抽象的に書いていると大変分かりにくいので、個人がわからない程度に具体的に書いておこう。というか以下のような場面に3度くらい直面していて、どれもそういう対応してしまったのでなんか個人的に腑が落ちないのである。



ゲイの友人に「そういえば俺ゲイなんだけど」と言われた時である。つまりカミングアウトされた時ってことかな?

個人的な心情を詳しく描写すれば、友人のことはゲイでもそうでなくても友人だし。個人的にも異性愛至上主義者ではない、のでそういう本質的な次元においても相手がどんな対象を性的に嗜好してもOKと思ってる。

ここまで書くとまた、「あやしいな」と思ってしまう。 なんだ「OKと思ってる」って。
 とんだ偉い奴だなお前は。

BTW
自分があまりに気にしていない事柄(相手のsexual orientation)に対して食い気味に「僕はどっちでもかまわないよ」といってしまった事に後悔している。なぜなら相手にとってはその問題が(カミングアウトするか否か)とても重要で大事な判断だったかもしれないから。

ここまで書いて言い訳みたいな事を書いておくと、私はマジョリティーの中にいる無関心で無知なマジョリティー側の人間ではないと思っている。例えば日本人がマジョリティーの世界(日本)で行きている日本人は自身の日本人性に無自覚だといったような事(日本人を異性愛に置き換えてもよい)。まあ思ってるだけだけど。

2017年1月8日日曜日

そう、それはちょうど季節のよう

そう、それはちょうど季節のよう。


春、一斉に芽吹くとき、すべてが連鎖的、加速度的に動く。



冬、世界は未だ見ぬ春のため静まりかえり、彼は一人だけ遺されたかのように感じる。



でも、確実に時は進む。


そして春が来る。

春は嫌いだ