2013年12月11日水曜日

あいまいさと無責任と信仰

今日初めてムーミンの博物館に行ってみた!そこにあったパンフレットに載っていた、良い言葉。好きな感覚だな。


"Ajattelen juuri parhaillaan revontulia. Ei voi tietää, ovatko ne olemassa vai näkyvätkö ne vain. Kaikki on hyvin epävarmaa, ja juuri se tekee minut levolliseksi." -Tove Jansson, Taikatalvi, Tuutikki

「オーロラって、本当に存在しているのか、それとも見えているだけなのか、よくわからないなあ……。ものごとって、すべて、とてもあいまいなのよね。でも、だからこそわたし、安心していられるの」(たぶんムーミン谷の冬より引用)

“All things are so very uncertain, and that’s exactly what makes me feel reassured.” - Too-Ticky from Tove Jansson’s Moomin books



(パンフレットは最後の部分だけだし、言葉が若干違うけど、wikiに載っていたのを転載)日本語、英語もネットから拾い集めた。便利な時代…

ここまでFacebookに書いたことのコピペです。

この感覚、安心できる感じとても共感できるし、いいなーって思う。

それと同時に最近ってどんどん効率化されてそういうあいまいなことって意味の無いこと価値がないことのようになされているのかな?と一瞬考えた。

でもそれって、僕がただあいまいさに溺れることで無責任な自分を正当化させたいだけ?とも考えた。

最近出来ないことが多くてもどかしい。経験上ここで踏ん張れば成長できるんだろうけど、つらいからあきらめちゃう。




そんな次元とは違うことなのかな。このあいまいさって。あいまいさに身を委ねることって。

ヤンソンさんが言っているあいまいという意味、これは全てがきっちりしていて分かる状態の反対のことを言うのだろうな…英語のuncertainに近い感じ?

きっと前半で語った責任とかそういう薄っぺらいことではなくて、オーロラみながら言ってるんだから世界の認識的な話だろうな。

物事はとてもあいまい、不確定、不確実。
だから安心できる。

あるかないか分からないものにゆだねる。だから安心できる。

2013年10月14日月曜日

最近のツイッター炎上って・・・

なんかひどすぎるなと感じます。



馬鹿をやっている人だけでなく、それを制裁しようとする人・・・



ネットに公開し(密告)、制裁をする(店が閉店したり・・・)。




これって私刑じゃない?


とおもって検索してみたら、すでに書いている人いました。



インターネットと「私刑化」する社会

藤代 裕之 | ジャーナリスト
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujisiro/20130626-00025974/



そしてこの記事の中には糸井さんの2007年の予言のような記事のリンクが

「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる
糸井 重里
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071023/138300/?rt=nocnt


 なるほどねー

2013年8月13日火曜日

印象的な話(バルト)

〜BBQで〜
ドイツ人男子学生がラトビア人男子学生にむかって
「フィンランドでマスター取るんだ!なるほど。で、卒業したらどうするつもりなの?就職?」

ラトビアの彼
「わからないし、決めてないね。そんなこと決めても将来、国、政府、自分の周りがどうなっているかなんて全く予想できないからね。ドイツ人は計画できる人生なんだろうね」

ドイツの彼
「うーん。そうかもね、でも僕は社会学をやってるけどお金にならないし、将来の見通しはないなw」

ラトビア
「じゃあ、ラトビアに来ると良いよ!」

一同
「笑」

2013年6月2日日曜日

人類学・生(なま)・アート

深夜Twitterであらぶったものを転載しておきます。後からまとまったものを書くかもね。


2013年5月10日金曜日

18歳のときの文章が面白かったので再録

このブログの過去倉庫を見ていたら、18歳(いまでは遠くに感じる)の時に書いた変な小説を読んで笑ってしまったので再録。

ICUにまだ入学していない頃の文章だ。
若いなって思う。


ここから

「小芝居」

「あら、ごきげんよう」
「お久しぶり!京子は元気だった?」
「ええ、元気過ぎて、千葉まで私のランボルギーニでボランティアに行ってきたわ」
「そうなの!すごいわね〜」
「コレがその時の写真よ」
「うわー京子って趣味変わんないわね。エルメスのガーデニングブーツとかw」
「いいじゃない!豊かな者は消費すべきでしょ?」
「そうかもしれないけど…全身ブランドで固めなくてもいいんじゃないの?」
「ふっ、アナタはどうせ買えないから僻んでるだけでしょ?」
「はぁ?違うわよ。私は、そんなものに価値を感じないだけよ」
「強がっちゃって。武子の悪い癖よ」
「で、なんで京子がこんな田舎にいるわけ?」
「ちょっと、新鮮な空気でも吸おうかと思ってね…」
「ふーん。優雅だこと。じゃ、私は息子を迎えに行く所だから。せいぜい楽しんでね」
「あ、武子、実は……」
武子、自転車で颯爽と去る
「はぁー行っちゃったわ」
「これ、あげようと思ってきたのに…」

京子の手には1キログラムの金塊が握られていた。

2013年2月26日火曜日

高校時代の辛い思ひで

高校自体に行くことでかなりメンタル鍛えられていたけど、もっとも精神的にきつかったのはやっぱり、公文式に通っていたころだろう。

僕はどうしても計算ができなかったし、コツコツ計算練習することが嫌いでできなかった。

小学校から算数はとても苦手だったわけだが(ほかの教科は100点なのに算数だけ50点台とか)
小学校で50点はやばい。

でもどうしても計算練習が苦手で、ごまかしながら、地元一の進学校に入ってしまった…

数学だけは最底辺の生活。

半分あきらめていたけど、高校は国公立行かない人は非国民って感じだったので、
ある程度のレベルの大学行くためには数学もできないといけなかった。

百ます計算ドリルとかも買ってみたけど、結局続かなくて、お金かけるしかないか…
と思い、公文に通うことにしました。


あー辛かったー


小学生でいっぱいの教室内に明らかにサイズオーバーな高校生…

しかも算数の最初の方やってるし。


小学生からめっちゃみられてた。今思えば。


当時は必死だったから、気にしないふりしてたけど。


辛かったなー


今の大学にに合格して、公文をやめることになったけど、あの頃ほんとに大変だったなあ。

2013年2月22日金曜日

SNSをちょっとやめてみる

静か-にいなくなるだけです。
物理的にもいなくなる(実家に帰る;ネット環境が悪い)
なんとなく疲れるので、しばらく離れていようと思います。

ただ、ブログは続けるよ!

僕はここの読者の人には一番やさしくしたいです。

2013年2月16日土曜日

伊勢丹!

最近、伊勢丹に出会う事が多い。
ここ三ヶ月ぐらいで3回は新宿伊勢丹に行ってると思う。よくよく考えると少ないけど、
自分にとっては多い。

新宿伊勢丹ってやっぱり他のデパートと違う。
(でもお弁当は大丸が好きで、お菓子は三越が好きで、パンは高島屋か三越に入ってるお店が好きです!)

なんかフロアの雰囲気とか、モノの配置、接客とか、

私たち、このモノ達が大好きです!が伝わって来て、しかもそれがうまく

東京的にアレンジ(洗練?)されていると思う。

あと、「似合う服」を見つけやすい気がするなー

特に男物の服とか、伊勢丹だとわがままがきく感じがする。


他の百貨店だとだいたいどこも「紳士服」っていうと入ってるものが似たり寄ったりしている気がするんだよね…
(おじさんっぽい?みたいな)


たしかに、原宿とか表参道に探しに行けばいいのかもしれないけど、
百貨店に集まっているからこそ見れるものってあるんじゃないかなと感じました。

2013年2月12日火曜日

筆不精

最近、ブログに全くアクセスして無かった。
というか、レポート以外で長めの文章書くとか久しぶりすぎる。
てか、いま、レポート積んでるのに、早く寝た方がよっぽどいいのに、こんなことしているのはなぜだろう。


えっと、最終更新日はいつ?.



2012年11月3日かー

思っていたよりも昔じゃないかも。

それからあったことを、まとめてみようかと思います。いっそのことだし。


 過去を振り返るのも時には必要。