2017年8月31日木曜日

一人でいるのは難しい

どうすればいいかわからず、近所を二周した。本当はフォーマルクエスチョンとかの準備がしてあって聞きに行かなきゃいけないのだけど、なんかできなくて、ぶらぶらした。

近所を二周すると同じところを二回通るので、さすがに髪を結うご婦人方に怪訝な目で見られた。なので、一人で落ち着けそうな場所を探すが、見つからない…


村のどこに行っても「ファレンジ!」(外国人)と叫ばれるし、そうでなくても「どこにいくの?」と聞かれる。


無視されたり、じっと無言で見つめられるよりずっとありがたいが、都市的な無関心の心地よさに馴れた自分にはいささか疲れる時がある。そういえば、中高生の時近所の人に妙に過敏になってたなと思い出す。近所のいつも挨拶してくれるおばちゃんに会わないように道を変えたりしてた…今なら挨拶できるけどあの頃はなぜ嫌だったんだろ…


話をエチオピアに戻すと、この辺りでは一人でいるのが難しい。近所の茶屋(シャイベット)にいくと、暇な成人未婚男性(ゴロムサ)に絡まれて面倒だし。かといって森や公園のようなpublicな空地は探してみるとなかなか無い!結局落ち着いたのが家の裏の建設中の建物の軒下だ。

家の裏にいても、家の人からの何で男なのに家にいるんだろうという目線を感じる。まあ、外国人は変だなと思ってて!と心のなかで呟く。



「夕方に家にいるのは良くない」と言われて、家の男達に連れ出されることがよくある。特にすることがあるわけではないので、ビール屋に行ってアルコールフリー穀物ドリンク(ホストファミリーは厳格なプロテスタントだからお酒は飲まない)を二、三時間飲んだり、知り合いのスーク(キオスク)でテレビを見たりするだけなのだが。


ともかく、今日はとても一人で座ってるのによい天気だ。雨上がりの空は高く青く、薄く細やかな鱗雲がたなびき、涼しい風が時折、ふっおっ、と吹く。遠くの低地には積乱雲が見え、今夜の雨を予感させる。


喧嘩もなく、村は静かで、平和である。おっと娘が薪(たきぎ)を拾いに来た、それではごきげんよう。

2017年8月29日火曜日

水浴び

水浴びについて。パンツは諸説ありますがここでは下着を指します。

今回は井戸水(もしくは貯め置き雨水)とたらいを使った水浴びについて書きます。川が近くにある人はそこで体を洗えるからいいですね。


たらいにできるだけ多目の水を汲みます。あ、でも運べるくらいにしておきましょう。たらいを物陰に移動させます。人前でショーのように水を浴びたい人は道の真ん中などに持っていくといいと思います。


僕はいつもバナナの木が密集してる家の前庭で水浴びします。低めのバナナの木はちょうどいい高さで脱いだ服を引っかけられるのです。


乾いたたらいに、大きめの布(バスタオル可)、吸水性のよい布、替えの下着、靴下、水を汲む柄杓、石鹸を詰めます。

裸足にサンダルなどを穿き、乾いたたらいを持ち、先程のたらいの場所にいきます。


体を洗うのによい場所は、水捌けがよい、もしくは地面に傾斜がついている場所です。傾斜がなければ穴を掘ってもいいと思います。


服を脱ぎます。上半身から脱ぎ、順番にバナナの木に挟み込むとよいです。ズボンが一番上に来るようにします。諸説ありますがズボンとは下着の上にはく筒状の衣服のことを指します。


パンツは履いたまま水浴びします。一つのポイントですね。少し体を湿らせないと石鹸がアレしないので、柄杓で適当に湿らせます。



石鹸を身体中に塗りたくります。その後、柄杓の水で流します。右肩など石鹸が残りやすいので、注意して落とします。


一番のコツは、パンツ周辺の洗い方なのですが、よくよく考えたら書けないので、各自試してください。


上半身を吸水性のよい布でさっと拭き、腰に大きな布を巻きます。


速やかにパンツを脱ぎ、足など下半身を吸水性のよい布で拭き、新しいパンツをはきます。ここで一段落です。疲れましたね。


人間は服を着ないと比較的寒さに弱いので、上半身にも服を着させます。ズボンもはきます。この際、ズボンの中の携帯などを落とさないよう気をつけてください。僕は今朝落としました。



ズボンをはいたら、大きな布は不要なので首にでもかけましょう。


そろそろ吸水性の落ちかけてる布をつかい足を拭きます。片足拭き、足をあげたまま靴下を履きます。洗い場から部屋に行くまでの道が砂っぽいので、せっかく洗った足を汚さないよう、ここで靴下を履きます。まあでも好みなんでどっちでもよいです。


荷物を乾いたたらいに回収し、部屋に戻ります。


身体を洗うことができました。毛穴が開いてこの世とは思えないくらい爽快な気分です。


私は彼岸にいるのでしょうか。


それではごきげんよう。

2017年8月24日木曜日

やっぱり雨が好き

今日は久しぶりに朝から雨が降っている、家の増築のため大工さんが来ているが、彼らも軒先に雨宿りしている。私もホストファザーも家のなかで朝のブンナをする。

ブンナとはアムハラ語でコーヒーという意味だけど、この辺りでは食事の事を指すことが多い。ちなみに飲み物はショホラというコーヒーの実の飲み物なのでブンナすら飲んでいない。コーヒーの木から出来たものには変わり無いが…


雨の日が好きなのはなぜだろう。家の中に入らざるを得ず、話をしたり、暇潰しをする時間が好きなのかもしれない。

普段の労働や仕事の手を止め、佇まなければならない状況。

家の中から激しい雨を見る、少しの不安と安心感。

いや、ただ水が好きなのかもしれない。子供の頃は長靴をはいて雨のなかを歩くのが好きだった。

キャンプのとき、雨でびしょびしょになるのも好きだったな。大変だったけど。


大雨が降ると今でも興奮して寝れないことがある。子供みたいだなぁ。



雨が降っている。

2017年8月20日日曜日

フィールドに体が適応してきた?

フィールドに本格的に入って、ほぼほぼ2ヶ月になった。からだや味覚がようやく馴染んできたのかも…と感じる。

首都に飛行機で降り立ったときは、日本にいた時、同様毎日体を洗っていたが、最近は二、三週間洗わなくても体が痒くならなくなった。

下手に高い頻度で水浴びをすると、周りの人の臭いが妙に気になる。自分もあまり水浴びをしないでおくと、そんなに周りの人の臭いは気にならない。あまりにも自分が臭いときにそろそろ水浴びようかなという感じだ。

味覚に関しても、慣れてきたのか、研ぎ澄まされてきたのか、塩加減と上手い不味いがわかるようになってきた。前回はどの料理も、とうもろこしと高菜で構成されていて代わり映えしないなと感じていたが、今は同じ素材でも、違いがわかるようになった。例えば、今日は玉ねぎが二割くらい多いなとか、唐辛子から良く味が出ているな、等々。

先週、街のホテルでパソコン仕事をしながら紅茶を頼んだ。日本なら飲物に砂糖など入れたことなかったが、なにも考えず砂糖を山盛三杯入れていて自分の行動に驚いた。

エチオピアで紅茶というと、煮出した紅茶に飽和状態まで砂糖を溶かした激甘の飲み物を指す。私のすんでいるところは比較的物質的に豊かな、街よりの村なので、コーヒーなどの毎日の飲み物にも毎回大量の砂糖を使う。去年は砂糖を入れないでとリクエストしたりしていたが(そんなことを言うと大体変な顔をされる。砂糖要らないとか正気?みたいな)、今回はリクエストするのも面倒になってしまい、そのまま毎日激甘の飲み物を飲んでいる。

その味に慣れてしまったのか、ホテルで自分で砂糖を調節できるのに、無意識のうちに大量の砂糖を投入していて驚いたのである。

甘くないと紅茶を飲んだ気がしないと思うくらいになっている…

人間は本当に環境に適応力のある生き物だなぁと感心している。

2017年8月18日金曜日

子供の葬式

近所のスーク(日用品が色々と売られているキオスクのようなところ)の息子(3歳くらいか?)が亡くなり、埋葬に参列して来た。

ちょうど私が熱で寝込んでいた時期に病院に行ったりしていたそうだ。病院でもらった薬を家で飲んでいたが、うまく効かなかったのか、そのまま自宅で亡くなったそうだ。


その子供はスークに買い物に行くと、いつも付きまとって来た子供だった。「アッシャーム、アッシャーム、サラームノ、サラームノ」(アリ語とアムハラ語で元気か?)

一応返事はしていたが、鬱陶しく思い、返事しないこともあった。子供への扱いはそんなものである。


ただ、亡くなったと聞くと、やはり驚く。明日から買い物に行ってもつきまとわれないのか・・・と。驚くけどそんなに悲しいとは思えない。人は生まれたら死ぬものだから。我ながら、血も涙も無い奴だ。


葬儀での母親の反応はとても激しかった。泣き(周囲の人々の儀礼的な泣きとは少し違う感じ)、叫び、棺にしがみつく。最終的には親戚の男たちになだめられ、無理やり車の助手席にのり、埋葬場所に向かった。

埋葬場所に向かう、車の後ろを100人以上の参列者(多くは同じ村の人)がついていく。道は人で埋め尽くされ、一時的に通行ができない状態になる。

埋葬場所にたどり着いたが、人だかりで何が行われているのかはわからない。牧師が何か祈りのようなものを唱え、会衆が「アーメン」と答える。

ほどなくして、ホストブラザーに「いくよ」と言われたので、その場を去ることにする。




これはここ十年くらいの悩み(?)なのだが、人の死をそこまで重く捉えることができない。十年前の祖父の死も、五年前の父の死もただそこにある事実として受け止めるだけで特別悲しいとか、喪失感に苛まれるとかいうことは起きなかった。死は突然起きるように思えるが常にそこにあると僕は感じている。生きているとは死んでいることと密接に関わっている。

死に対する特別視のなさは、まあ仕方ないかと諦めているので特には悩んではいないのだが。それで社会的には大丈夫か?と思うことはある。でもエチオピアで何度か葬儀に参加し、儀礼的泣きを目撃すると心の中は別にそれでいいのかなともちょっと思う。


以前、ホストファザーに連れられ遠くの山へ葬儀に行った時、直前まで冗談混じりで話していたホストファザーが、葬儀の家の門を通った途端大声で泣き始めたのである。後に続く妻や息子も同じように続く。門を跨いだその瞬間にである。もちろん門の内側の人には直前まで泣いていないことはわかると思う。悲しくて泣いている、のかもしれないが、門を跨いだ瞬間に泣かなければならないというノーム(規範)を強く感じた。


悲しくても悲しくなくてもとにかく泣くのだ。泣くことが重要なのである。


そこから、僕は死を悲しまなければならないという謎の呪縛から少し自分を客観視できるようになったと思う。死を悲しく思ったりおもわなかったりすることは、社会的にはあんまり重要でないのでは?むしろ泣いたり、弔意を伝えるという「行為」を行うことが重要なのである。


今朝スークの前を通ると、白い幕に囲われたエーフィエヤ(葬儀小屋)が建ってた。あの中で近親者は弔問客を迎え、三日三晩寝ずの番をする。今日も葬儀は続く。

2017年8月5日土曜日

「めっちゃセクシズムじゃん」

「めっちゃセクシズムじゃん」


ここ(エチオピアの村)で行われていることを特になにも考えずにチャットで伝えたら、上記のようにコメントされ驚いた。でも、よくよく考えれば確かにそうだ…


そのとき伝えたこととは、女性や子供は基本的に同じ皿から食べ物を食べないし、調理や配膳は女性の仕事だということ。例外として、誰もお客さんが来る予定もなく、家族だけの食事は、妻だけ夫や私と同じ皿から食べ物を食べることもある。


普段は夫(家主)と客である私は椅子に座りテーブルの上の皿から食べ物を食べるのに対して、女性(妻や嫁)や子供たちは地べたに座り、地べたに置いた皿から食べ物を食べる。食べ物の分配も常にテーブル組が優先され、女性や子供は後回しだ。


最初こそ驚いたが、一ヶ月という時間が経つうちに慣れてしまい、僕にとっても普通の事になっていたのだ。だからセクシズムじゃん!と言われて驚いたのだ。



初めてその光景を目にしたとき、「地面で食べるとはなんと屈辱的」と思った。ただ最近は地面で和気あいあいと食べる方が楽しそうと思うことが多い。普段の食事でテーブルで食べることが許されているのはホストファザーである夫と私だけなので、どちらかが居なくなると一人だけテーブルで食べることとなる。一人テーブルでご飯食べながら、地べたで楽しそうにご飯を食べている様子を見るのはなんだか寂しい。それはホストファザーも感じているようで、ホストファザーが遅く帰ってくると、たとえ僕が先にご飯を食べ終わっていたとしても「一緒に食べよう」と言われ、二回目の食事をすることが多々ある。


子供の中でも年齢の差より性差の方が優先的に考慮される。つまり3歳の男の子供は12歳の女の子供よりも優先される。3歳の男の子供が姉に命令するのに驚いたのだが、そのことに驚くほど自分が年功序列的な価値観を身に付けていることに対して二重に驚いた。


階級、身分による差別って、こういうことか!とふと思う。そして「屈辱的」と感じたのはどこの誰なんだろうとも、ふと思う。


今一度、日本の私の周りの環境から真っ直ぐにまなざすと、なるほど確かに、この状況はセクシズムなんだろう。日本での僕は女性差別には反対の立場である。

かといって、僕が進んで地べたで食べたり、大きいテーブルを買ってきて全員着席することを求めることを、やりたいとは思わない。というかやるべきではないだろう。私が考える「正しいこと」を実践することは、彼らが女性と、男性を差別することよりも暴力的だと思ってしまう。


暴力的だと感じるのは私が外国人だからなのか、人類学の調査者だからなのか、男性だと社会に認められているからなのか、それらすべてによってなのか。



そんなことを考えるのは、彼らの知恵、文化、技術、価値観、を学ばせてもらいに来ているのだから、謙虚にあろうとする模範的学生としてのポーズなんだろうか。


わからない。難しい。


そんなこんなで、結局今日も肘掛けつきの椅子に座っている。