このブログの最も読まれている記事一位に未だ居座っているこちらの記事
http://ukihoku.blogspot.fi/2012/08/blog-post.html
ですが、今は少しずつ根本の考え方が変わって来たな、と感じでいます。
そもそも幸福ってなんだ?
幸せってなに?
って考えるようになった。
刹那的に「いいなー」とか「幸せ」 とか「安らぎ」とかを感じることはあるけれども、
それって幸福なのだろうか?
安全で安定していることは不安定から見れば幸福なのかもしれないけど、その状態のさなかにいると気がつきにくいよね。むしろ気がつかないからこそ、心の平安があり安定しているのかもしれない。
べつに幸福が無くても、大きな幸が無くても、生きていれば嬉しいな。
と最近考えています。
2014年1月27日月曜日
2014年1月26日日曜日
日記
やはり日記的にこのブログを書いていこうと思う。
最近一日開いていると部屋の中で籠ってしまうことが多い。
寒いからからかな?
僕はとても影響されやすく、熱しやすく冷めやすいんだけど。それによってとても困ることも多いし、まあそれでいいのかなーと思ってることも多い。そしてよく達観したコメントを他人にしてしまいがちだけど、本人は些細なことでくよくよしてしまうことが多い。例えば、人に嫌われたくないとか、もっとすかれたいけど、どうすれば良いか分からないときとか、どうしようもなく、引きこもってしまって、一人でさみしくてどうしようもないときとか。
高校生のときにゴロゴロしながら気がついた、どうあがいてもどうにもならないんだなという気づきに結局戻ってくるわけで、そして、自分の気持ちには出来るだけ正直になれば良いけど、他人の気持ちはどうしようもないということにも戻ってくるんだよね。
ただそれで満足、というか、私は私でしかないし、無理に刺激を求めたりしないで満ち足りていればそれで万事オッケーな訳であるけど、そうは僕の問屋が下ろさないらしい。
どうしても「もっと」楽しいこと、「もっと」すかれる人、「もっと」いろんな人に会いたいし愛され、認められたい!と感じてしまいます。(きっとこの気持ちが文末の表現変化に影響したのだろう)
無欲な自分と刺激を求める自分。仙人と芸術家が自分の中にいてとっても困る。
どっちかにしてくれたらもっと人生楽なんだろう。
みんな何かを押さえて人生送ってるんだろうか?
よく耳にする僕に対する評価で「自由に生きてるよね」という事があるが、僕には到底信じられない。かなり抑制して、一般人の仮面をかぶり(汗でずれるけど)精一杯社会に合わせようとして生きているのに…だから僕は外国にいることが比較的好きなのかもしれない。本当に基本的なことさえ出来れば、よっぽどのことが無い限り殺されたりはせず、「ああ外国人だからしかたないよね」で片付けてもらえるからだ。しかし、ここ数ヶ月フィンランドに住んで、もっと深く理解してほしい!僕を発信したい!と面倒な欲望を感じ始めているもの確かではあるが。
でも結局、「めんどくさがりな自分」(最強キャラ)が出て来て何もせずにだらだらと時間を過ごしてしまう。そのことに後悔してみたりもする。そんな状況の時、僕の仙人は遠くの方に行ってしまっていて姿が見えない。
この後悔がどうしようもなく強くなり、胸が締め付けられるようになると、仙人がふと現れて、神に祈るよう要求してくる。
そうすると宇宙は広かったんだと気がつき、まあ楽になる。
いま自分の主な心の動きを考えてみたけど、我ながら堂々巡りをしているなーと感じる。
そしてこんな風に考えていたことはすぐに忘れてしまうのである。
お気楽なのか、繊細なのか、単なるめんどくさがり人間なのか。
忘れないためにここに書いておきたい。
最近一日開いていると部屋の中で籠ってしまうことが多い。
寒いからからかな?
僕はとても影響されやすく、熱しやすく冷めやすいんだけど。それによってとても困ることも多いし、まあそれでいいのかなーと思ってることも多い。そしてよく達観したコメントを他人にしてしまいがちだけど、本人は些細なことでくよくよしてしまうことが多い。例えば、人に嫌われたくないとか、もっとすかれたいけど、どうすれば良いか分からないときとか、どうしようもなく、引きこもってしまって、一人でさみしくてどうしようもないときとか。
高校生のときにゴロゴロしながら気がついた、どうあがいてもどうにもならないんだなという気づきに結局戻ってくるわけで、そして、自分の気持ちには出来るだけ正直になれば良いけど、他人の気持ちはどうしようもないということにも戻ってくるんだよね。
ただそれで満足、というか、私は私でしかないし、無理に刺激を求めたりしないで満ち足りていればそれで万事オッケーな訳であるけど、そうは僕の問屋が下ろさないらしい。
どうしても「もっと」楽しいこと、「もっと」すかれる人、「もっと」いろんな人に会いたいし愛され、認められたい!と感じてしまいます。(きっとこの気持ちが文末の表現変化に影響したのだろう)
無欲な自分と刺激を求める自分。仙人と芸術家が自分の中にいてとっても困る。
どっちかにしてくれたらもっと人生楽なんだろう。
みんな何かを押さえて人生送ってるんだろうか?
よく耳にする僕に対する評価で「自由に生きてるよね」という事があるが、僕には到底信じられない。かなり抑制して、一般人の仮面をかぶり(汗でずれるけど)精一杯社会に合わせようとして生きているのに…だから僕は外国にいることが比較的好きなのかもしれない。本当に基本的なことさえ出来れば、よっぽどのことが無い限り殺されたりはせず、「ああ外国人だからしかたないよね」で片付けてもらえるからだ。しかし、ここ数ヶ月フィンランドに住んで、もっと深く理解してほしい!僕を発信したい!と面倒な欲望を感じ始めているもの確かではあるが。
でも結局、「めんどくさがりな自分」(最強キャラ)が出て来て何もせずにだらだらと時間を過ごしてしまう。そのことに後悔してみたりもする。そんな状況の時、僕の仙人は遠くの方に行ってしまっていて姿が見えない。
この後悔がどうしようもなく強くなり、胸が締め付けられるようになると、仙人がふと現れて、神に祈るよう要求してくる。
そうすると宇宙は広かったんだと気がつき、まあ楽になる。
いま自分の主な心の動きを考えてみたけど、我ながら堂々巡りをしているなーと感じる。
そしてこんな風に考えていたことはすぐに忘れてしまうのである。
お気楽なのか、繊細なのか、単なるめんどくさがり人間なのか。
忘れないためにここに書いておきたい。
2014年1月16日木曜日
満月
満月がとてもきれいだ
昼間おさぼり気味の太陽とちがって
月はてっぺんまで登って来てくれる
白い雪に跳ね返る白い光
うっすらと浮かび上がる森
たき火を焚いて、踊るかげ
透明である、不安と安心
冷たさの、心地よさと痛み
昼間おさぼり気味の太陽とちがって
月はてっぺんまで登って来てくれる
白い雪に跳ね返る白い光
うっすらと浮かび上がる森
たき火を焚いて、踊るかげ
透明である、不安と安心
冷たさの、心地よさと痛み
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