2015年8月26日水曜日

カミュツイートまとめ

これまでつぶやいた、カミュの引用ツイートをまとめました。
カフカとカミュを混同していた大学一年生の自分を叱ってやりたい。









・『最初の人間』アルベール・カミュ 大久保敏彦訳 新潮社1996

2015年8月1日土曜日

アルベール・カミュおもしろいー「貧者の記憶」についてー

自分の名前の姓と名を早口で読むと「カミュ」と聞こえることから、友人から「カミュ」と呼ばれることが時々ある。聞いたことある名前だったけど、全く読んだ事なかったので、近くの公立図書館で、『最初の人間』を借りて読んでみることにした。本当は一番有名な『異邦人』あたりを読んでみたかったのだけど、貸し出し中だったので仕方なく、『最初の人間』を借りたのである。



でも結果的に『最初の人間』を読んでよかった気がする。『最初の人間』はカミュが生前、構想を書き溜めていた手帖と書類を出来るだけそのままの形で刊行した、彼の自伝的小説らしい。完成前にカミュは交通事故でなくなってしまっているので、細かいところの描写が未定であったり、メモ書き・自分のための注釈がついていたりする。そのように、中途半端なものなのに、とても引き込まれる。ジャック(主人公)が生まれるシーンはとても描写が細かく、出産のシーンが鮮やかに浮かんできた。おもしろい小説なんだろうな~と思わせる始まりである。(えらそうだな自分w)



カミュが育った経済的に貧しい生活、それらを通した人間の姿の描き方は胸に迫るものがある。きっとそれは実際に体験したことから、書いているからだと思う。

特にこの箇所である。

貧者の記憶というものはもうそれだけで裕福な者の記憶ほど充実していない。なぜなら貧者は滅多に生活している場所を離れないので空間における指標が少ないからだし、また一様で、灰色の生活の時間の中にも指標が少ないからである。もちろんこの上なく確実だと言えるような心の琴線に触れる記憶もあるのだが、心が苦しみや労働ですり減ってしまうので、疲労の重みの下で、それもすぐに忘れられてしまうのだ。失われた時が蘇るのは裕福な者のうちでしかない。貧者にとっては、失われた時はただ死に向かう道の漠とした道標だけである。それに、首尾よく耐えていくためには、あまりたくさんの記憶は必要ない。彼の母親が恐らくやむを得ずそうしていたように、一時間一時間過ぎ去る日々にぴったり身を寄せている必要があった。
『最初の人間』アルベール・カミュ 大久保敏彦訳 新潮社1996 p.78




大学に入って、多くの裕福な者に出会い、言葉や記憶をしっかり持った人々とばかり生活していると、こういった正直で一生懸命な貧しきものの存在を忘れてしまいがちだ。というか忘れてもいいものなのだろうか。

最近の日本においてはここまでの貧しさは、なかなかないと思う。でも中学生のとき友達だった「彼ら」は大学で出会った人たちと同じように言葉を使っているとは思えない。

地方もしくは、貧しい家庭出身で都会の、中央の、urbanな、大学に行っている学生は少なからず考えることだと思うのだけど、裕福な東京の学生(※1)の前提、家庭環境およびそこから来る考え方と自分の考え方がフィットしないなと感じることがある。なにかはわからないのだが、価値観や考える上での土壌、スタート地点が違っていることに気がつくと言うべきだろうか。

別にそれが悪いとか、うらやましいとか、田舎の感覚をわからない都会っ子を馬鹿にしたいとかそういうことではない。「裕福な東京の学生」の中にもカミュの言うような貧しさを理解し、考えている人も多くいると思う。うん。何を言いたいんだ自分。

ただ、大学という場所、アカデミックな世界、中央のエリート達にはこの貧しさを知らない、考えたこともない人も多くいるのではないかなと、ひしひしと感じる。ま、考えているから偉いとか、そのほうがいいなんて全く思わんが。(だから何が言いたいのか自分 笑)

つまり、泥臭い思想や、地に這いつくばっている僕みたいな人が考えることを、エリート達に伝えることって難しいし、無理なことなのかもしれない。

僕が育った環境もすばらしく裕福であったわけではない。(しかし、カミュに比べれば格段に豊かな家庭だった)しかし、両親が教育を大切に考えていたから、大学に行く(大学院にまで行こうとしている)という選択肢を考えられたし、実際大学に入れたのだと思う。豊かさと教育の機会って本当に大切なことやな・・・

こんな感じでふんわりと終わっておこうと思います





この記事を書く前に読んで、影響された記事

・内田樹「突発性仏文学者症候群」
http://blog.tatsuru.com/2008/01/15_1150.php

身体的な哲学にはとても興味が持てる。記事中にある『哲学の歴史12』を読みたい

・萩原俊治「「最初の人間」」
http://d.hatena.ne.jp/yumetiyo/touch/20130209/1360390179

貧しい人々の描写と、人を差別することについて述べられている。差別についても萩原さんと同じ意見だ。差別しない人間に育ててくれた両親と祖母に感謝したい。

・『最初の人間』アルベール・カミュ 大久保敏彦訳 新潮社1996


※1 無理やりステレオタイプにすると私立高校から東京の大学に行って東京から出ていないような方たち