人を大切にするということはなんだろうと最近考えている。私のなかから湧き上がってくる結論的なことは「献身」的な行為なのではないかということだ。しかし、この行為は自分本位で、時に相手の迷惑になる時もある。「おせっかい」などということが良い例かもしれない。しかも、その「おせっかい」は見せかけの善意によって差し出されるので余計たちが
悪い。善意を伴って差し出された「おせっかい」を、相手は断らなければならないからである。(最初からそんなものはいらないのに)
僕はそんなことばかりやっている気がする。本当に人を大切にするということを理解していないのかもしれない。もしくは、自分が傷つくことを過度に避けているためかもしれない。
自分でどうして、ここまで、責任逃れをするための予防線を張るのがうまいのかと思ってしまうことが良くある。簡単に言えば、言い訳と嘘を常に用意しているのだ。
人はそんな人を「卑怯者」と呼ぶ。辞書的に言えば、勇気がなくずるがしこい者であるということだ。
最近ようやく、自分の根本的な問題が自分の卑怯性にあることを正視できるようになった、気がする。というか現在進行形でそれを行っていると思う。
自分が正面から戦わなくて済むように、相手を貶めるし、相手が自分より下手に出たと分かり次第、自らを優位に保てるように細工するのである。
どうやったら、正面から人と対話できるのだろうか。そういうことは必要なのであろうか。なにか大事なことを忘れてしまったように思えてならない。