最近まったく研究活動をしていない。こんな状況で修士を修了できるかさえ怪しい。
というか今のままだとできないだろう。はあ。
今一番博士課程に行ってはいけないなと思う理由の一つは、研究したいこれといったことがないからだ。
ただでさえいばらの道である研究者になろうとするなら、なにかしら譲れないもの、どうしても研究したいことがあるべきだと思うし、そういったことがなければ、続いていかないだろう。
そうだからといって、就職するのだろうか?消去法的に?それもまた違うだろう。ただ、私のしたいことというか、得意なことってなんだろう。まあ即答できるのは寝ることである。
2016年11月7日月曜日
2016年10月27日木曜日
lonely but not alone
なんのためにここにいるのか、どこに行こうとしているのか、わからない。
そんなの多分わからないんだと思う。
生きていくのって本当に孤独で、どうしようもなく悲しくて、そんなもんだね。
ゴッホは自殺して、ゴーギャンは南の果ての島で死んでしまう。
たぶん、自分の心情のせいなんだけど、ゴッホの書くゴーギャンの椅子に心をつかまれてしまった。そこに座っている人をその人を介さずに椅子だけを描く。
椅子についてはこちらを
https://g.co/kgs/iUlsqC
どう考えてもゴッホって精神というか、感覚?が、普通ではないと思う。私はとても好きなんだけど。
そんなゴッホがアルルに芸術家の桃源郷を作ろうとして、パリの友人に手紙を送るけど、反応してくれたのはゴーギャンだけだった。実際来たのもゴーギャンだけ。
私が手紙を送ったら(そんなことたぶんないけど)来てくれる人がいるのだろうか。少なくとも、手紙が送られてきたら、行く人にはなりたい。
僕は最近とても反省している。僕の方を向いて欲しいから人に対して優しくしてるんじゃなかろうか。べつにそれを反省する必要はないと思う。人間って多かれ少なかれそういうものだから。でもなぜか、罪悪感を覚えてしまうのはきっと、人に対して後ろめたいことをしているような気が常にあるから。
「友達」が多い人はすごいなと思ってしまう。私にはそんな多くの人間関係のメンテナンスはできないから。かといって少なくてもできないんだけど。
でもきっと、なんだかわからないけど、いざという時頼れるかな?と思える他人が私と繋がってくれているのは、自分勝手で自立してない私には暖かい幻想だ。
Amici in rebus adversis cognoscuntur.
そんなの多分わからないんだと思う。
生きていくのって本当に孤独で、どうしようもなく悲しくて、そんなもんだね。
ゴッホは自殺して、ゴーギャンは南の果ての島で死んでしまう。
たぶん、自分の心情のせいなんだけど、ゴッホの書くゴーギャンの椅子に心をつかまれてしまった。そこに座っている人をその人を介さずに椅子だけを描く。
椅子についてはこちらを
https://g.co/kgs/iUlsqC
どう考えてもゴッホって精神というか、感覚?が、普通ではないと思う。私はとても好きなんだけど。
そんなゴッホがアルルに芸術家の桃源郷を作ろうとして、パリの友人に手紙を送るけど、反応してくれたのはゴーギャンだけだった。実際来たのもゴーギャンだけ。
私が手紙を送ったら(そんなことたぶんないけど)来てくれる人がいるのだろうか。少なくとも、手紙が送られてきたら、行く人にはなりたい。
僕は最近とても反省している。僕の方を向いて欲しいから人に対して優しくしてるんじゃなかろうか。べつにそれを反省する必要はないと思う。人間って多かれ少なかれそういうものだから。でもなぜか、罪悪感を覚えてしまうのはきっと、人に対して後ろめたいことをしているような気が常にあるから。
「友達」が多い人はすごいなと思ってしまう。私にはそんな多くの人間関係のメンテナンスはできないから。かといって少なくてもできないんだけど。
でもきっと、なんだかわからないけど、いざという時頼れるかな?と思える他人が私と繋がってくれているのは、自分勝手で自立してない私には暖かい幻想だ。
Amici in rebus adversis cognoscuntur.
朋
最近東京に旅行するたびに、学ぶことが多い。
今回の旅行では、さまざまな友人(特にここ半年会ってなかった人)に再会したのだが、自分の傍若無人さというか、はばかりのなさというか、無遠慮さというかを実感するに至った。
今回の旅行では、さまざまな友人(特にここ半年会ってなかった人)に再会したのだが、自分の傍若無人さというか、はばかりのなさというか、無遠慮さというかを実感するに至った。
みんな私と付き合ってくれてありがとうと思う。本当に泣きそうになる。arigatou
ありがとうって伝えるのが下手だ。
ありがとうって伝えるのが下手だ。
あと、距離をとって、時間をかけることによって熟成させることができる感情もあるのかな?と希望を得た。
行く前はすごく気が重かった。
嫌われると嫌だから?前会った時と変わっていたら嫌だから?いや違う。
自分がまた執着していることを再確認したくなかったから。
完全に執着していないか、と言われると違うんだけど、執着は薄まっていくのかもしれないと感じることができた。そして、前回の斜陽を読んでも思ったことだけど、私が愛と勘違いしていたものは愛ではないのかもしれない。というか多分違う。
それはただの執着。
母の子への愛のようなものも実は執着とないまぜになってしまっていることがあるのではないだろうか?
だから苦しむ親子もいるような気がする。本題とはそれるが。
しかしながら、執着とは良い風に解釈すれば、「情熱」なのかもしれない。
2016年10月23日日曜日
2016年10月19日水曜日
初心とは
初心忘るるべからずとはよく言ったものだ。
今、自分はなにがしたいのだろう
ということで恒例、自分の昔のblogを読んでみよう!恥ずかしいを通りすぎて面白い投稿だったのでシェアするね。
以下自分のblogから引用
ということで恒例、自分の昔のblogを読んでみよう!恥ずかしいを通りすぎて面白い投稿だったのでシェアするね。
以下自分のblogから引用
2016年10月13日木曜日
東京旅行で感じたこと
最近東京に旅行するたびに、学ぶことが多い。
今回の旅行では、さまざまな友人(特にここ半年会ってなかった人)に再会したのだが、自分の傍若無人さというか、はばかりのなさというか、無遠慮さというかを実感するに至った。
みんな私と付き合ってくれてありがとうと思う。本当に泣きそうになる。arigatou
ありがとうって伝えるのが下手だ。
あと、距離をとって、時間をかけることによって熟成させることができる感情もあるのかな?と希望を得た。
会いに行く前はすごく気が重かった。
嫌われると嫌だから?前会った時と変わっていたら嫌だから?いや違う。
自分がまた執着していることを再確認したくなかったから。
完全にそうではなかったか、と言われると違うんだけど、執着は薄まっていくのかもしれないと感じることができた。そして、前回の斜陽を読んでも思ったことだけど、私が愛と勘違いしていたものは愛ではないのかもしれない。というか多分違う。
それはただの執着。
母の子への愛のようなものも実は執着とないまぜになってしまっていることがあるのではないだろうか?
だから苦しむ親子もいるような気がする。本題とはそれるが。
しかし、執着とは良い風に解釈すれば、「情熱」なのかもしれない。
今回の旅行では、さまざまな友人(特にここ半年会ってなかった人)に再会したのだが、自分の傍若無人さというか、はばかりのなさというか、無遠慮さというかを実感するに至った。
みんな私と付き合ってくれてありがとうと思う。本当に泣きそうになる。arigatou
ありがとうって伝えるのが下手だ。
あと、距離をとって、時間をかけることによって熟成させることができる感情もあるのかな?と希望を得た。
会いに行く前はすごく気が重かった。
嫌われると嫌だから?前会った時と変わっていたら嫌だから?いや違う。
自分がまた執着していることを再確認したくなかったから。
完全にそうではなかったか、と言われると違うんだけど、執着は薄まっていくのかもしれないと感じることができた。そして、前回の斜陽を読んでも思ったことだけど、私が愛と勘違いしていたものは愛ではないのかもしれない。というか多分違う。
それはただの執着。
母の子への愛のようなものも実は執着とないまぜになってしまっていることがあるのではないだろうか?
だから苦しむ親子もいるような気がする。本題とはそれるが。
しかし、執着とは良い風に解釈すれば、「情熱」なのかもしれない。
2016年10月11日火曜日
斜陽を読んで
太宰治の斜陽をよんで、こんなに激しい母への思いを女性は抱くのだろうか?とふと不思議に思った。斜陽の主人公はこんな風に思っている。弟が私よりも愛されて苦しい、母親が死んでしまうのが嫌だ、と同時に私の存在自体が母親を死に至らしめているのではないか。
一時期はこれって単なる太宰さんの母親を愛する気持ちを主人公に投影しただけではなかろうかと単純化しすぎて考えていた。
しかも私の周りは、母親に対抗意識を持ったり、憎んだり、特に感情がなかったりする、強い?自立した?女性ばかりなので、そんな風に思ったのかもしれない。
でも、「花束を君に」の歌詞を見て、あ、女性とか男性とか関係ないかもと思った。
この歌詞でも、言葉が足りないほど愛しく、最後に抱きしめてほしかった母への思いが綴られている。
まあ、私自身も母親へそこまでの愛はない(と思ってる)のでわからなかったのかもしれない。
そして、斜陽は怒涛の結末を迎える。女性にしかできない方法で終結するのである。
あれってそうするしかなかったのだろうか。それは時代的に?それとも現代でも?
いや、そうするしかなかったのだと思う。
本当に男という生き物は儚く無意味で自分勝手だなと思わされる
一時期はこれって単なる太宰さんの母親を愛する気持ちを主人公に投影しただけではなかろうかと単純化しすぎて考えていた。
しかも私の周りは、母親に対抗意識を持ったり、憎んだり、特に感情がなかったりする、強い?自立した?女性ばかりなので、そんな風に思ったのかもしれない。
でも、「花束を君に」の歌詞を見て、あ、女性とか男性とか関係ないかもと思った。
この歌詞でも、言葉が足りないほど愛しく、最後に抱きしめてほしかった母への思いが綴られている。
まあ、私自身も母親へそこまでの愛はない(と思ってる)のでわからなかったのかもしれない。
そして、斜陽は怒涛の結末を迎える。女性にしかできない方法で終結するのである。
あれってそうするしかなかったのだろうか。それは時代的に?それとも現代でも?
いや、そうするしかなかったのだと思う。
本当に男という生き物は儚く無意味で自分勝手だなと思わされる
2016年10月7日金曜日
どうすればいいかわからない
まず、久しぶりの生ビールが美味しすぎていろいろと無作法な振る舞い、生意気な口を叩いてしまってすみません…絶対このblogにかいても通じないんだけど、ま、いいです。
本当にいろんなことへのリスペクトが足りない。人類学を少しでも学んだものとしてどうかと思う。ほんとやだ。
この失礼な態度、世の中なめてる態度をどうにかしていきたい。
やりたいことなんかない空洞人間なんですが、そういう人が絶対に入ってはならない迷宮に入り込んでしまった…気がする。
とりあえず、目の前にあるフィールドノートとやらを開かなくてはならない。そこから始まるのか。
どうなんだ。
そんなことはどうでもいいが、とにかくなめ腐った自らの態度を改めなければならない。こんなところに駄文を書き連ねてる暇があったら心の底から反省しろよよ自分に言いたい。
勉強するしかないのかな。勉強原理主義のような気がするが。
良心はどこにあるのか。
2016年7月9日土曜日
2016年6月29日水曜日
2016年6月25日土曜日
2016年6月21日火曜日
共同体の中で生きていくの辛すぎる
またしてもこの謎の感情が生まれてる。
謎の感情とオブラートに包んだ、もしくは本心を無視した言葉で表現してみる。
本当に意味のないところに執着を示す自分の心。意味のないことを機敏に感じ取ってしまう、いらない繊細さ。やめてほしい
そんなことどうでもいいじゃん
強がってんな~
どうせ共同体なんて想像なんだよ!
2016年6月16日木曜日
定期ポスト、水になる
常、僕は水になりたいと思っているわけだが。それはなぜだろう。というかそれはどんな状態のことを呼ぶのか。
その時に考えるのは
タオイズム?
合気道?
そういうものなんだろうか?そういうものでもあると思う。 でもそれって、自分の足で立ってから言うべきことなのかもしれない。ずっとそんなことばかり考えている。
とにかく、ここ2年くらいではこのスピーチを繰り返し読んでいる。
David Foster Wallace’s 2005 commencement address at Kenyon College
原文
https://www.1843magazine.com/story/david-foster-wallace-in-his-own-words
和訳
http://j.ktamura.com/this-is-water#sub--1
リベラルアーツ、自由人になさしむ知恵
ここでは、知の探求者としての自由が現れているように思う。
知は人間を不自由にもするが、大きな枠で見れば、自由にすると思う。月並みだけど、不自由さを知っていることこそが自由になることそのものだ。
真理のために生きたい。そのためには今のままではいけないのだろう、そう。そうだとおもう。私は「まよっている」らしい。
それはきっと怖いのだとおもう。自分のことを自分で背負うのが。自分を背負った時に重みに耐えられないことが。
そんなこと言ってられない状況になったにもかかわらず。
自分で背負うくらいなら、その辺に置いておきたい。
甘ったれてんじゃねえよ自分。
水に戻ろう。
水、それは形のないもの、そしてその場で形になるものだ。
なにかとなにかをつなげ、どんなものの隙間にも入り込む。
流れる水は全てを流していく。どんな色にもなるし、どんな色にもならない。
そして人間に必ず必要なもの
その時に考えるのは
タオイズム?
合気道?
そういうものなんだろうか?そういうものでもあると思う。 でもそれって、自分の足で立ってから言うべきことなのかもしれない。ずっとそんなことばかり考えている。
とにかく、ここ2年くらいではこのスピーチを繰り返し読んでいる。
David Foster Wallace’s 2005 commencement address at Kenyon College
原文
https://www.1843magazine.com/story/david-foster-wallace-in-his-own-words
和訳
http://j.ktamura.com/this-is-water#sub--1
リベラルアーツ、自由人になさしむ知恵
ここでは、知の探求者としての自由が現れているように思う。
知は人間を不自由にもするが、大きな枠で見れば、自由にすると思う。月並みだけど、不自由さを知っていることこそが自由になることそのものだ。
blind certainty, a close-mindedness that amounts to an imprisonment so total that the prisoner doesn't even know he's locked up.
「盲目的な確信と狭い了見に起因する、獄中にいることすら気がつかない囚人」
learning how to think really means learning how to exercise some control over how and what you think.
「自分の頭で考えられること」というのは、「自分の頭で考えられるということは、何について考えるか、ある程度自分でコントロールできる術を学ぶこと」
how to keep from going through your comfortable, prosperous, respectable adult life dead, unconscious, a slave to your head and to your natural default setting of being uniquely, completely, imperially alone day in and day out.
「いかにして心地よい、豊かで、凛とした社会人生活を送り、ゾンビのように、無意識で、自我および唯一の完全な凄まじい来る日も来る日も訪れる孤独のドレイとなるのを回避するか」
The only thing that's capital-T True is that you get to decide how you're gonna try to see it. This, I submit, is the freedom of a real education, of learning how to be well-adjusted. You get to consciously decide what has meaning and what doesn't. You get to decide what to worship.
「どう物事を見るかは自分で選択できる」ということです。これこそが君たちが受けた教育が生み出す自由の意味です。「適応力がある」という表現の意味です。何に意味があって何に意味がないのか自分で意識的に決められること。何を信じるか自分で決められること。
The really important kind of freedom involves attention and awareness and discipline, and being able truly to care about other people and to sacrifice for them over and over in myriad petty, unsexy ways every day.
毎日毎日、自分以外の人々のことを思い、彼らのために犠牲をはらい生きる自由。
The capital-T Truth is about life BEFORE death.
シンジツとは、死の前にある生のためのものです。
真理のために生きたい。そのためには今のままではいけないのだろう、そう。そうだとおもう。私は「まよっている」らしい。
それはきっと怖いのだとおもう。自分のことを自分で背負うのが。自分を背負った時に重みに耐えられないことが。
そんなこと言ってられない状況になったにもかかわらず。
自分で背負うくらいなら、その辺に置いておきたい。
甘ったれてんじゃねえよ自分。
水に戻ろう。
水、それは形のないもの、そしてその場で形になるものだ。
なにかとなにかをつなげ、どんなものの隙間にも入り込む。
流れる水は全てを流していく。どんな色にもなるし、どんな色にもならない。
そして人間に必ず必要なもの
2016年5月24日火曜日
人類学の意義
きっと、緻密な文章、精緻な描写、筆者がフィールドで行った体験を読者に疑似体験させる風景の再現性があるからだと思う。目の前に広がるサモアの海、むわっとしたヤシの木の間を通り抜ける風 、潮と油の匂い。
エスノグラファーになりたい人はこういった表現を世界に対して行いたい人だと思う。でもそこがいつも人類学者が問われる、「ルポルタージュと何が違うの?」問題である。
先日もちょうど、名古屋の地下道で、工学部で勉強する友人に「人類学の人はどんな社会的な意義から研究しているの?社会的な要請は研究テーマにつながるの?」と聞かれて必死に答えになってない答えをしたばかりだ。
人類学は、字が表すとおり、「人類」の「学」だ。
つまり人類とは、人間とは、人間がなぜ生きるのかということを問題にしている学問だと思う。
それ以外に「意義」は必要なのだろうか。
エスノグラファーになりたい人はこういった表現を世界に対して行いたい人だと思う。でもそこがいつも人類学者が問われる、「ルポルタージュと何が違うの?」問題である。
先日もちょうど、名古屋の地下道で、工学部で勉強する友人に「人類学の人はどんな社会的な意義から研究しているの?社会的な要請は研究テーマにつながるの?」と聞かれて必死に答えになってない答えをしたばかりだ。
人類学は、字が表すとおり、「人類」の「学」だ。
つまり人類とは、人間とは、人間がなぜ生きるのかということを問題にしている学問だと思う。
それ以外に「意義」は必要なのだろうか。
2016年5月17日火曜日
マリリンストラザーンを読んで
授業で英国の人類学者、マリリンストラザーンの論文を読んだ。
ああいう論理展開をつなげてある論文を読むと、読解にすごく手間がかかって、同じ次元で話を展開できなくて、大学院にいていいのかなと思ってしまう。
ゼミの後院生室で先輩が「西欧人とは」ってひとくくりにしちゃったりするところがすごいよね。と言っていて、確かにと思った。
ほとんど意味のない文章書いてるな。
その先輩も言っていたが、ストラザーンのそういう英国人的な偉そうな態度には少し疑問を感じるが、彼女の理論は地に足が付いているし、おそらく民族誌的経験から導き出された、もしくは頑張ってひねり出したであろう議論のため面白いんだと思う。
あのくらいの議論をするためにはやっぱり、いろんな本を読まなくてはいけないんだなと、修論計画が全くの白紙の私は思う。
圧倒的に読んでいる量が少ないと日々感じる。学部の時も思っていたけど、やはり賢い人々に囲まれていると触発されますね。環境とはとても大切である。
「君はなにしたいんや?」と聞かれるんだけど、そこに答えが出せない…
だってそれって俺の20数年の人生そのものの質問だし…
いま心の片隅で、フィールドに出れば何か運命的な出会いがあるんじゃないか、運命的に興味をもてる対象を見つけられるのではないかと思っている自分を叱りたい。
ああいう論理展開をつなげてある論文を読むと、読解にすごく手間がかかって、同じ次元で話を展開できなくて、大学院にいていいのかなと思ってしまう。
ゼミの後院生室で先輩が「西欧人とは」ってひとくくりにしちゃったりするところがすごいよね。と言っていて、確かにと思った。
ほとんど意味のない文章書いてるな。
その先輩も言っていたが、ストラザーンのそういう英国人的な偉そうな態度には少し疑問を感じるが、彼女の理論は地に足が付いているし、おそらく民族誌的経験から導き出された、もしくは頑張ってひねり出したであろう議論のため面白いんだと思う。
あのくらいの議論をするためにはやっぱり、いろんな本を読まなくてはいけないんだなと、修論計画が全くの白紙の私は思う。
圧倒的に読んでいる量が少ないと日々感じる。学部の時も思っていたけど、やはり賢い人々に囲まれていると触発されますね。環境とはとても大切である。
「君はなにしたいんや?」と聞かれるんだけど、そこに答えが出せない…
だってそれって俺の20数年の人生そのものの質問だし…
いま心の片隅で、フィールドに出れば何か運命的な出会いがあるんじゃないか、運命的に興味をもてる対象を見つけられるのではないかと思っている自分を叱りたい。
2016年5月14日土曜日
2016年3月17日木曜日
でも
今日の冒頭一言(本文とはなんの関わりもありまへん。な、なぜ関西弁っぽくなるのか…汗。本文だけだと高校生のポエムみたいで嫌なので!)
大学院の選択間違えたかも
ま、入学してみるしかないよね☆
大学院の選択間違えたかも
ま、入学してみるしかないよね☆
冒頭一言おわり!
2016年3月3日木曜日
室生犀星
室生犀星とは金沢出身の作家である。確か犀川のほとりで育ったのでそういうペンネームにしたはず。本人は何度か食うに困って金沢に帰ってるはず。この詩は結構有名だと思ってたけどそうでもないのかな?でも、読むたびにふるさとは戻る場所ではないな、頑張らねばと繰り返し思うのです。
2016年1月23日土曜日
くう
各方面すみません…私は先程から虚しさに人生の意味を問うフェーズに入ってしまいました…(意味不明…)
もう布団から出られません。一生出られないかも。もう嫌です。外の世界は冷たくて寒い。でも、内側だって生ぬるいだけ。
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