2016年5月24日火曜日

人類学の意義

きっと、緻密な文章、精緻な描写、筆者がフィールドで行った体験を読者に疑似体験させる風景の再現性があるからだと思う。目の前に広がるサモアの海、むわっとしたヤシの木の間を通り抜ける風 、潮と油の匂い。

エスノグラファーになりたい人はこういった表現を世界に対して行いたい人だと思う。でもそこがいつも人類学者が問われる、「ルポルタージュと何が違うの?」問題である。

先日もちょうど、名古屋の地下道で、工学部で勉強する友人に「人類学の人はどんな社会的な意義から研究しているの?社会的な要請は研究テーマにつながるの?」と聞かれて必死に答えになってない答えをしたばかりだ。

人類学は、字が表すとおり、「人類」の「学」だ。

つまり人類とは、人間とは、人間がなぜ生きるのかということを問題にしている学問だと思う。

それ以外に「意義」は必要なのだろうか。

2 件のコメント:

  1. その工学部の友人、わたしかなにゃはははーyume

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