2016年10月11日火曜日

斜陽を読んで

太宰治の斜陽をよんで、こんなに激しい母への思いを女性は抱くのだろうか?とふと不思議に思った。斜陽の主人公はこんな風に思っている。弟が私よりも愛されて苦しい、母親が死んでしまうのが嫌だ、と同時に私の存在自体が母親を死に至らしめているのではないか。

一時期はこれって単なる太宰さんの母親を愛する気持ちを主人公に投影しただけではなかろうかと単純化しすぎて考えていた。

しかも私の周りは、母親に対抗意識を持ったり、憎んだり、特に感情がなかったりする、強い?自立した?女性ばかりなので、そんな風に思ったのかもしれない。

でも、「花束を君に」の歌詞を見て、あ、女性とか男性とか関係ないかもと思った。
この歌詞でも、言葉が足りないほど愛しく、最後に抱きしめてほしかった母への思いが綴られている。

まあ、私自身も母親へそこまでの愛はない(と思ってる)のでわからなかったのかもしれない。

そして、斜陽は怒涛の結末を迎える。女性にしかできない方法で終結するのである。
あれってそうするしかなかったのだろうか。それは時代的に?それとも現代でも?

いや、そうするしかなかったのだと思う。

本当に男という生き物は儚く無意味で自分勝手だなと思わされる

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