最近、理性的ではないどうしようもない気持ち(感情ともいう)に悩まされる日が多い。
わかりやすくいえば、好き嫌い、嫉妬心、焦燥感などだろうか。
私はこれまで、こういった感情を滅することで比較的、心が平安な状態で生きて来たと思っている。
感情をいだきそうになったら、心をないものとして、理性的な価値判断だけで行動しようと努めてきた。
2015年10月28日水曜日
2015年10月23日金曜日
人類学の意義
今日久しぶりに学部の基礎的な授業に参加した。
そこでは人類学の教授がふと、人類学と地域研究の違いについて話していて、忘れてはいけないことだと思ったので、ここに記しておきたい。
人類学とはミクロな事象、固有の現象、「彼ら」のやっていることを通して人間の本質に迫ることである。
また、他の社会科学と大きく異なる点は、被調査者である「彼ら」の目線から世界を見たら何がみえるのかという点に重きをおいているということである。
この二つのことは本当に基本的で、何度も言われることだけど、大事なことなので、心に刻んでおきたいと思った。
そこでは人類学の教授がふと、人類学と地域研究の違いについて話していて、忘れてはいけないことだと思ったので、ここに記しておきたい。
人類学とはミクロな事象、固有の現象、「彼ら」のやっていることを通して人間の本質に迫ることである。
また、他の社会科学と大きく異なる点は、被調査者である「彼ら」の目線から世界を見たら何がみえるのかという点に重きをおいているということである。
この二つのことは本当に基本的で、何度も言われることだけど、大事なことなので、心に刻んでおきたいと思った。
2015年10月22日木曜日
ウラとオモテ
<この記事は2015年6月に書いたものです>
当然と言ってしまえば当然なのだが、人が自分に見せる姿と違う姿を目にすることは、色んな意味でショッキングである。
それはいい意味でショッキングであることもあるし、悪い意味のときもある。
まあ、いい、わるいっていうのも個人的な問題であって、社会的にどうこうってことではないんだがね。
しかし、なぜ私達は一貫性を求めるのか?
裏表がない人とは「いい」人なのであろうか?ちょっとそこは分からない。
もし、明らかに自分に接する時よりも、幾分かリラックスした表情をしていたり、話すトーンが違ったりすると、なんだか自分が軽視されたような、結局蚊帳の外だったのかよ的なつまらない感情がわいてしまう。
多分、正解は、「あ、使い分けていらっしゃるんだな」と、思えばいいんだと思う。
他の人に向ける態度を自分にも向けてほしいと思うことは甚だ自分勝手なものである。
ここまで言って、でも、裏表がない、誰に対しても平温に見える人に対して安心してしまう。
それは私が損をしていないことに対する証明を得るだけの事なのかもしれない。
だって、誰に対しても平温なんて人間としてちょっとありえないし、ともすれば感情のない人ということになってしまう。ただそれが、どの程度の差なのか、それが表面化しやすいのか、その差なのである。
自分はとことん嫉妬深いなと笑ってしまう。
当然と言ってしまえば当然なのだが、人が自分に見せる姿と違う姿を目にすることは、色んな意味でショッキングである。
それはいい意味でショッキングであることもあるし、悪い意味のときもある。
まあ、いい、わるいっていうのも個人的な問題であって、社会的にどうこうってことではないんだがね。
しかし、なぜ私達は一貫性を求めるのか?
裏表がない人とは「いい」人なのであろうか?ちょっとそこは分からない。
もし、明らかに自分に接する時よりも、幾分かリラックスした表情をしていたり、話すトーンが違ったりすると、なんだか自分が軽視されたような、結局蚊帳の外だったのかよ的なつまらない感情がわいてしまう。
多分、正解は、「あ、使い分けていらっしゃるんだな」と、思えばいいんだと思う。
他の人に向ける態度を自分にも向けてほしいと思うことは甚だ自分勝手なものである。
ここまで言って、でも、裏表がない、誰に対しても平温に見える人に対して安心してしまう。
それは私が損をしていないことに対する証明を得るだけの事なのかもしれない。
だって、誰に対しても平温なんて人間としてちょっとありえないし、ともすれば感情のない人ということになってしまう。ただそれが、どの程度の差なのか、それが表面化しやすいのか、その差なのである。
自分はとことん嫉妬深いなと笑ってしまう。
2015年10月21日水曜日
手紙というもの
文章を書くということ、とても責任の重いことである。しかし、人間の歴史においては大変特殊な行為ではないだろうか。人間はかつて無文字社会に生きていたとすれば、口から発せられる音によるコミュニケーション、つまりその場ですぐに消えてしまうやり方を基本に人間は生きてきたといえるのではないか。要するに、書き言葉ではなく話し言葉が人類の基本なのではないか。
それに対して、一定時間残り続けるものに文字を書き、人に伝えるということは比較的新しいやり方である。口からでる言葉ならば瞬間瞬間で消えてしまうが、文字は残り続ける。つまり発信者の身体から離れたところ、発信者の文脈から乖離した場所で意味を残し続けるものなのである。
手紙を書いている瞬間は、そのときの気持ちや感情を、そのとき思ったまま書き付ける。しかし、いったん書き終えてしまうと、そのとき思った気持ちではなくなっている自分に気がつくのである。そしてその手紙を読むという行為も、書き手の文脈からは離れた場所で行われるのである。よっぽど読み手に書き手への配慮がない限り、どのような背景で、どのような気持ちで文章を書いたのかな?などと読み手は想像しないし、読み手は書かれた文章しか見ることができないので、そのような書き手の背景はわかるわけがない。読み手は書かれたものから判断するしかないのだ。
そのため、手紙を書くこと、文章を書くことには相当の責任と気概が求められると思う。文字はとても強力なので、いとも簡単に相手のことを傷つけたり、文意を誤解されたりしてしまう。そして文章自体は書き手のイマ・ココの文脈から乖離しているのに関わらず、書き手は文章に対して責任を持たなければならない。
手紙に封をする行為はそのことを象徴しているかのようだ。
それまで書き手の手に密着していた便箋を、封筒に入れ、糊付けをすることで、書き手の文脈から完全に離れ、手紙というものが完成する。
書き手は封筒によって隔てられてしまう言葉に責任を持たなければならない…
僕は手紙を書くことは結構好きだが、封をする段階になって毎回躊躇する。それは手紙を書くときに下書きを書いたり、推敲しないことが問題なのかもしれない。いや、たぶんそれがかなりの問題であると思う。ああ、もっと推敲したほうがいいのだろうな。自分にとっても相手にとっても。
ああ、推敲…
それに対して、一定時間残り続けるものに文字を書き、人に伝えるということは比較的新しいやり方である。口からでる言葉ならば瞬間瞬間で消えてしまうが、文字は残り続ける。つまり発信者の身体から離れたところ、発信者の文脈から乖離した場所で意味を残し続けるものなのである。
手紙を書いている瞬間は、そのときの気持ちや感情を、そのとき思ったまま書き付ける。しかし、いったん書き終えてしまうと、そのとき思った気持ちではなくなっている自分に気がつくのである。そしてその手紙を読むという行為も、書き手の文脈からは離れた場所で行われるのである。よっぽど読み手に書き手への配慮がない限り、どのような背景で、どのような気持ちで文章を書いたのかな?などと読み手は想像しないし、読み手は書かれた文章しか見ることができないので、そのような書き手の背景はわかるわけがない。読み手は書かれたものから判断するしかないのだ。
そのため、手紙を書くこと、文章を書くことには相当の責任と気概が求められると思う。文字はとても強力なので、いとも簡単に相手のことを傷つけたり、文意を誤解されたりしてしまう。そして文章自体は書き手のイマ・ココの文脈から乖離しているのに関わらず、書き手は文章に対して責任を持たなければならない。
手紙に封をする行為はそのことを象徴しているかのようだ。
それまで書き手の手に密着していた便箋を、封筒に入れ、糊付けをすることで、書き手の文脈から完全に離れ、手紙というものが完成する。
書き手は封筒によって隔てられてしまう言葉に責任を持たなければならない…
僕は手紙を書くことは結構好きだが、封をする段階になって毎回躊躇する。それは手紙を書くときに下書きを書いたり、推敲しないことが問題なのかもしれない。いや、たぶんそれがかなりの問題であると思う。ああ、もっと推敲したほうがいいのだろうな。自分にとっても相手にとっても。
ああ、推敲…
2015年9月8日火曜日
Caro Emerald - Coming Back As a Man 和訳 日本語 歌詞
マツコとマツコといという番組に使われていて、かっこいいなと思った曲の和訳をしてみました。間違いがあったら教えて...というかぜんぜん訳しきれてない…
ああ、アメリカ研究の教授も言ってたけど、本当に詩を訳すなんて馬鹿げてる。もうしません。でも基礎的な英語の間違いは必ずあるので指摘してほしい。
でも、マツコの番組に、しかもアンドロイドと共演するという番組にこの曲を使うのはおしゃれである。
元の歌詞はここを参考にしました
http://www.azlyrics.com/lyrics/caroemerald/comingbackasaman.html
[Verse 1:]
ギリギリで生きている、
何かがわたしを怒らせた
ベットに飛び込み寝返りを打った、oh yeah
そう、言ってしまった
満足していない
すべてのロミオと彼ら(男たち)のサヨナラに
彼らの「またね」という不完全な嘘に
だからため息をつく
[Pre-Chorus:]
今のわたしのことだけを言ってるんじゃなくて
女たちの世界のすべての金を持ってしても、彼を変えることはできない
[Chorus]
電話帳をつかんで
「ダビンチ」をさがすの
ほかの誰かみたいに変身するために
さあ、究極の逆襲のため、リハーサルの時間よ
みてろよ、考えがある
男として戻って来るんだ
[Verse 2:]
青を着よう
平たい革靴を見繕って
それはダイアモンドよりも私を輝かす
そして何か新しいものを
コロンをまとうように
おまえを囲おう、と言う
そして囁く「お持ち帰りしてくれない?」と
アーン
[Pre-Chorus 2:]
ヒントと、それから私の鍵を落とした
そして網を打つ
忘れられない夜を経験しそうな誰かを捕まえるために
[Chorus]
電話帳をつかんで
「ダビンチ」をさがすの
ほかの誰かみたいに変身するために
さあ、究極の逆襲のため、リハーサルの時間よ
みてろよ、考えがある
男として戻って来るんだ
[Bridge:]
エロール・フリンのヒゲの後ろに隠れよう
気持ちがここにあるのを確かめるために、間違った印象を取り去って
私を女の子のためのイコライザーと呼んで
教えて、教えて、どこが痛いのか
[Chorus]
電話帳をつかんで
「ダビンチ」をさがすの
ほかの誰かみたいに変身するために
さあ、究極の逆襲のため、リハーサルの時間よ
みてろよ、考えがある
男として戻って来るんだ
2015年8月26日水曜日
カミュツイートまとめ
これまでつぶやいた、カミュの引用ツイートをまとめました。
カフカとカミュを混同していた大学一年生の自分を叱ってやりたい。
・『最初の人間』アルベール・カミュ 大久保敏彦訳 新潮社1996

カフカとカミュを混同していた大学一年生の自分を叱ってやりたい。
カミュの言葉1「貧者の記憶というものはもうそれだけで裕福な者の記憶ほど充実していない。なぜなら貧者は滅多に生活している場所を離れないので空間における指標が少ないからだし、また一様で、灰色の生活の時間の中にも指標が少ないからである... 2へつづく
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 1
カミュの言葉2「...もちろんこの上なく確実だと言えるような心の琴線に触れる記憶もあるのだが、心が苦しみや労働ですり減ってしまうので、疲労の重みの下で、それもすぐに忘れられてしまうのだ。失われた時が蘇るのは裕福な者のうちでしかない... 3へつづく
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 1
カミュの言葉3「...貧者にとっては、失われた時はただ死に向かう道の漠とした道標だけである。それに、首尾よく耐えていくためには、あまりたくさんの記憶は必要ない。彼の母親が恐らくやむを得ずそうしていたように、一時間一時間過ぎ去る日々にぴったり身を寄せている必要があった。」4へ続く
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 1
カミュの言葉4 出典『最初の人間』アルベール・カミュ、大久保敏彦訳 新潮社 1996 p.78 そう…貧しいものにとって記憶、言葉は無視できるものとなりうる。特に正直で一生懸命な貧しきものにとっては。
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 1
性懲りもなく、カミュの言葉「そしてかくして知ったのだった。一人の人間に勝つことは相手に負けることと同じくらい苦いものだから、戦争はよくないということを。」(アルベール・カミュ『最初の人間』1996新潮社 p.141)
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 3
カミュの言葉「貧乏な子供がときとして、決して何かを羨んでいるわけではないにしろ、恥ずかしさを感ずることががあるということをどうして理解してもらえるだろうか?」」(アルベール・カミュ『最初の人間』p182新潮社1996)
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 7
・『最初の人間』アルベール・カミュ 大久保敏彦訳 新潮社1996
2015年8月1日土曜日
アルベール・カミュおもしろいー「貧者の記憶」についてー
自分の名前の姓と名を早口で読むと「カミュ」と聞こえることから、友人から「カミュ」と呼ばれることが時々ある。聞いたことある名前だったけど、全く読んだ事なかったので、近くの公立図書館で、『最初の人間』を借りて読んでみることにした。本当は一番有名な『異邦人』あたりを読んでみたかったのだけど、貸し出し中だったので仕方なく、『最初の人間』を借りたのである。

でも結果的に『最初の人間』を読んでよかった気がする。『最初の人間』はカミュが生前、構想を書き溜めていた手帖と書類を出来るだけそのままの形で刊行した、彼の自伝的小説らしい。完成前にカミュは交通事故でなくなってしまっているので、細かいところの描写が未定であったり、メモ書き・自分のための注釈がついていたりする。そのように、中途半端なものなのに、とても引き込まれる。ジャック(主人公)が生まれるシーンはとても描写が細かく、出産のシーンが鮮やかに浮かんできた。おもしろい小説なんだろうな~と思わせる始まりである。(えらそうだな自分w)
カミュが育った経済的に貧しい生活、それらを通した人間の姿の描き方は胸に迫るものがある。きっとそれは実際に体験したことから、書いているからだと思う。
特にこの箇所である。
大学に入って、多くの裕福な者に出会い、言葉や記憶をしっかり持った人々とばかり生活していると、こういった正直で一生懸命な貧しきものの存在を忘れてしまいがちだ。というか忘れてもいいものなのだろうか。
最近の日本においてはここまでの貧しさは、なかなかないと思う。でも中学生のとき友達だった「彼ら」は大学で出会った人たちと同じように言葉を使っているとは思えない。
地方もしくは、貧しい家庭出身で都会の、中央の、urbanな、大学に行っている学生は少なからず考えることだと思うのだけど、裕福な東京の学生(※1)の前提、家庭環境およびそこから来る考え方と自分の考え方がフィットしないなと感じることがある。なにかはわからないのだが、価値観や考える上での土壌、スタート地点が違っていることに気がつくと言うべきだろうか。
別にそれが悪いとか、うらやましいとか、田舎の感覚をわからない都会っ子を馬鹿にしたいとかそういうことではない。「裕福な東京の学生」の中にもカミュの言うような貧しさを理解し、考えている人も多くいると思う。うん。何を言いたいんだ自分。
ただ、大学という場所、アカデミックな世界、中央のエリート達にはこの貧しさを知らない、考えたこともない人も多くいるのではないかなと、ひしひしと感じる。ま、考えているから偉いとか、そのほうがいいなんて全く思わんが。(だから何が言いたいのか自分 笑)
つまり、泥臭い思想や、地に這いつくばっている僕みたいな人が考えることを、エリート達に伝えることって難しいし、無理なことなのかもしれない。
僕が育った環境もすばらしく裕福であったわけではない。(しかし、カミュに比べれば格段に豊かな家庭だった)しかし、両親が教育を大切に考えていたから、大学に行く(大学院にまで行こうとしている)という選択肢を考えられたし、実際大学に入れたのだと思う。豊かさと教育の機会って本当に大切なことやな・・・
こんな感じでふんわりと終わっておこうと思います
この記事を書く前に読んで、影響された記事
・内田樹「突発性仏文学者症候群」
http://blog.tatsuru.com/2008/01/15_1150.php
身体的な哲学にはとても興味が持てる。記事中にある『哲学の歴史12』を読みたい
・萩原俊治「「最初の人間」」
http://d.hatena.ne.jp/yumetiyo/touch/20130209/1360390179
貧しい人々の描写と、人を差別することについて述べられている。差別についても萩原さんと同じ意見だ。差別しない人間に育ててくれた両親と祖母に感謝したい。
・『最初の人間』アルベール・カミュ 大久保敏彦訳 新潮社1996

※1 無理やりステレオタイプにすると私立高校から東京の大学に行って東京から出ていないような方たち
でも結果的に『最初の人間』を読んでよかった気がする。『最初の人間』はカミュが生前、構想を書き溜めていた手帖と書類を出来るだけそのままの形で刊行した、彼の自伝的小説らしい。完成前にカミュは交通事故でなくなってしまっているので、細かいところの描写が未定であったり、メモ書き・自分のための注釈がついていたりする。そのように、中途半端なものなのに、とても引き込まれる。ジャック(主人公)が生まれるシーンはとても描写が細かく、出産のシーンが鮮やかに浮かんできた。おもしろい小説なんだろうな~と思わせる始まりである。(えらそうだな自分w)
カミュが育った経済的に貧しい生活、それらを通した人間の姿の描き方は胸に迫るものがある。きっとそれは実際に体験したことから、書いているからだと思う。
特にこの箇所である。
貧者の記憶というものはもうそれだけで裕福な者の記憶ほど充実していない。なぜなら貧者は滅多に生活している場所を離れないので空間における指標が少ないからだし、また一様で、灰色の生活の時間の中にも指標が少ないからである。もちろんこの上なく確実だと言えるような心の琴線に触れる記憶もあるのだが、心が苦しみや労働ですり減ってしまうので、疲労の重みの下で、それもすぐに忘れられてしまうのだ。失われた時が蘇るのは裕福な者のうちでしかない。貧者にとっては、失われた時はただ死に向かう道の漠とした道標だけである。それに、首尾よく耐えていくためには、あまりたくさんの記憶は必要ない。彼の母親が恐らくやむを得ずそうしていたように、一時間一時間過ぎ去る日々にぴったり身を寄せている必要があった。『最初の人間』アルベール・カミュ 大久保敏彦訳 新潮社1996 p.78
カミュの言葉4 出典『最初の人間』アルベール・カミュ、大久保敏彦訳 新潮社 1996 p.78 そう…貧しいものにとって記憶、言葉は無視できるものとなりうる。特に正直で一生懸命な貧しきものにとっては。
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 1
大学に入って、多くの裕福な者に出会い、言葉や記憶をしっかり持った人々とばかり生活していると、こういった正直で一生懸命な貧しきものの存在を忘れてしまいがちだ。というか忘れてもいいものなのだろうか。
最近の日本においてはここまでの貧しさは、なかなかないと思う。でも中学生のとき友達だった「彼ら」は大学で出会った人たちと同じように言葉を使っているとは思えない。
地方もしくは、貧しい家庭出身で都会の、中央の、urbanな、大学に行っている学生は少なからず考えることだと思うのだけど、裕福な東京の学生(※1)の前提、家庭環境およびそこから来る考え方と自分の考え方がフィットしないなと感じることがある。なにかはわからないのだが、価値観や考える上での土壌、スタート地点が違っていることに気がつくと言うべきだろうか。
別にそれが悪いとか、うらやましいとか、田舎の感覚をわからない都会っ子を馬鹿にしたいとかそういうことではない。「裕福な東京の学生」の中にもカミュの言うような貧しさを理解し、考えている人も多くいると思う。うん。何を言いたいんだ自分。
ただ、大学という場所、アカデミックな世界、中央のエリート達にはこの貧しさを知らない、考えたこともない人も多くいるのではないかなと、ひしひしと感じる。ま、考えているから偉いとか、そのほうがいいなんて全く思わんが。(だから何が言いたいのか自分 笑)
つまり、泥臭い思想や、地に這いつくばっている僕みたいな人が考えることを、エリート達に伝えることって難しいし、無理なことなのかもしれない。
僕が育った環境もすばらしく裕福であったわけではない。(しかし、カミュに比べれば格段に豊かな家庭だった)しかし、両親が教育を大切に考えていたから、大学に行く(大学院にまで行こうとしている)という選択肢を考えられたし、実際大学に入れたのだと思う。豊かさと教育の機会って本当に大切なことやな・・・
こんな感じでふんわりと終わっておこうと思います
この記事を書く前に読んで、影響された記事
・内田樹「突発性仏文学者症候群」
http://blog.tatsuru.com/2008/01/15_1150.php
身体的な哲学にはとても興味が持てる。記事中にある『哲学の歴史12』を読みたい
・萩原俊治「「最初の人間」」
http://d.hatena.ne.jp/yumetiyo/touch/20130209/1360390179
貧しい人々の描写と、人を差別することについて述べられている。差別についても萩原さんと同じ意見だ。差別しない人間に育ててくれた両親と祖母に感謝したい。
・『最初の人間』アルベール・カミュ 大久保敏彦訳 新潮社1996
※1 無理やりステレオタイプにすると私立高校から東京の大学に行って東京から出ていないような方たち
2015年7月22日水曜日
人を大切にするということ
人を大切にするということはなんだろうと最近考えている。私のなかから湧き上がってくる結論的なことは「献身」的な行為なのではないかということだ。しかし、この行為は自分本位で、時に相手の迷惑になる時もある。「おせっかい」などということが良い例かもしれない。しかも、その「おせっかい」は見せかけの善意によって差し出されるので余計たちが
悪い。善意を伴って差し出された「おせっかい」を、相手は断らなければならないからである。(最初からそんなものはいらないのに)
僕はそんなことばかりやっている気がする。本当に人を大切にするということを理解していないのかもしれない。もしくは、自分が傷つくことを過度に避けているためかもしれない。
自分でどうして、ここまで、責任逃れをするための予防線を張るのがうまいのかと思ってしまうことが良くある。簡単に言えば、言い訳と嘘を常に用意しているのだ。
人はそんな人を「卑怯者」と呼ぶ。辞書的に言えば、勇気がなくずるがしこい者であるということだ。
最近ようやく、自分の根本的な問題が自分の卑怯性にあることを正視できるようになった、気がする。というか現在進行形でそれを行っていると思う。
自分が正面から戦わなくて済むように、相手を貶めるし、相手が自分より下手に出たと分かり次第、自らを優位に保てるように細工するのである。
どうやったら、正面から人と対話できるのだろうか。そういうことは必要なのであろうか。なにか大事なことを忘れてしまったように思えてならない。
僕はそんなことばかりやっている気がする。本当に人を大切にするということを理解していないのかもしれない。もしくは、自分が傷つくことを過度に避けているためかもしれない。
自分でどうして、ここまで、責任逃れをするための予防線を張るのがうまいのかと思ってしまうことが良くある。簡単に言えば、言い訳と嘘を常に用意しているのだ。
人はそんな人を「卑怯者」と呼ぶ。辞書的に言えば、勇気がなくずるがしこい者であるということだ。
最近ようやく、自分の根本的な問題が自分の卑怯性にあることを正視できるようになった、気がする。というか現在進行形でそれを行っていると思う。
自分が正面から戦わなくて済むように、相手を貶めるし、相手が自分より下手に出たと分かり次第、自らを優位に保てるように細工するのである。
どうやったら、正面から人と対話できるのだろうか。そういうことは必要なのであろうか。なにか大事なことを忘れてしまったように思えてならない。
2015年7月21日火曜日
2015年5月19日火曜日
2015年5月17日日曜日
SOTSURON
卒論が終わらない。やばい。こんなところに文章を書いている場合ではないのは知っている。ああ。
どうしよ。こんなときは過去の記事を漁ってしまう・・・基本てきに恥ずかしくないものを、このブログには残してあるのだが、選び抜かれたものだからか、自分の文章でも結構おもしろい。たとえばこれ。18歳の時の小説?を転載したもの。
http://ukihoku.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
何がしたいのかわからないけど、若いときってこういうショートショートてきなものにあこがれるよね。でも、内容がおばさん趣味なのが謎。
フィンランドの暗い冬を抜けたあたりの一連の投稿はちょっとセンシティブで我ながら、考えてるな少しは。とおもう。今は東京という熱帯に来てしまったせいか、あんまり物を考えていない。あと、目の前にあることが多すぎる。私にとって。
http://ukihoku.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html
http://ukihoku.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html
http://ukihoku.blogspot.jp/2014/01/blog-post_26.html
http://ukihoku.blogspot.jp/2014/01/blog-post_1392.html
さてと、卒論。どうしよう。あと12時間後に先生に会わなきゃいけない。でもほとんどできてない。まあ大変。やるしかねえ。
どうしよ。こんなときは過去の記事を漁ってしまう・・・基本てきに恥ずかしくないものを、このブログには残してあるのだが、選び抜かれたものだからか、自分の文章でも結構おもしろい。たとえばこれ。18歳の時の小説?を転載したもの。
http://ukihoku.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
何がしたいのかわからないけど、若いときってこういうショートショートてきなものにあこがれるよね。でも、内容がおばさん趣味なのが謎。
フィンランドの暗い冬を抜けたあたりの一連の投稿はちょっとセンシティブで我ながら、考えてるな少しは。とおもう。今は東京という熱帯に来てしまったせいか、あんまり物を考えていない。あと、目の前にあることが多すぎる。私にとって。
http://ukihoku.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html
http://ukihoku.blogspot.jp/2014/01/blog-post.html
http://ukihoku.blogspot.jp/2014/01/blog-post_26.html
http://ukihoku.blogspot.jp/2014/01/blog-post_1392.html
さてと、卒論。どうしよう。あと12時間後に先生に会わなきゃいけない。でもほとんどできてない。まあ大変。やるしかねえ。
2015年2月9日月曜日
2014年5月20日火曜日
根源的には人は孤独だけど
定期的にくるこの、私は社交性の無いダメ人間だと思うこの卑しい心の動き…つらい。結局打算でしか交友関係を考えていないの?と自らに問いたい。
BGMは何となくこれ。
友達を大切にしたい。
BGMは何となくこれ。
友達を大切にしたい。
2014年5月7日水曜日
フィンランド語学習に便利なサイト一覧
この一年、フィンランド語を勉強してきて、お世話になったWebサイトを使った順に並べてみます。ほぼ自分用ですが、フィンランド語学習者には便利な情報かも知れませんね〜
今後も更新して行く予定です!
〜辞書〜
wiktionary英語版
http://en.wiktionary.org/wiki/Wiktionary:Main_Page
格変化の一覧や例文も適宜載っているのが便利!フィンランド語→英語として使用。ただ格変化は時々間違っているのが残念。まあフリーだから仕方ないね。
Google翻訳
https://translate.google.com/
言わずと知れた。ただ、機械翻訳あるあるだけど、訳文がおかしな文章になってしまうことも多々。日本語と英語よりはうまくいってると思うけど。
Sanakirja.org
http://www.sanakirja.org/
英語→フィン語で使用。Googleで納得いかないときに使うけど、使ったところで納得いかないときも…
Verbix
http://www.verbix.com/languages/finnish.shtml
格変化が知りたくて、wiktionalyで怪しいときに使うツール。動詞のみ!
〜文法など〜
Uusi kielemme
http://www.uusikielemme.fi/index.html
フィンランド語文法に関して英語やスペイン語で解説したページ。私のサマースクールの先生(ベルギー人でフィンランド語が母国語ではない)が運営している。すごくすっきりと文法事項がまとめてあって、分かりやすい。
今後も更新して行く予定です!
〜辞書〜
wiktionary英語版
http://en.wiktionary.org/wiki/Wiktionary:Main_Page
格変化の一覧や例文も適宜載っているのが便利!フィンランド語→英語として使用。ただ格変化は時々間違っているのが残念。まあフリーだから仕方ないね。
Google翻訳
https://translate.google.com/
言わずと知れた。ただ、機械翻訳あるあるだけど、訳文がおかしな文章になってしまうことも多々。日本語と英語よりはうまくいってると思うけど。
Sanakirja.org
http://www.sanakirja.org/
英語→フィン語で使用。Googleで納得いかないときに使うけど、使ったところで納得いかないときも…
Verbix
http://www.verbix.com/languages/finnish.shtml
格変化が知りたくて、wiktionalyで怪しいときに使うツール。動詞のみ!
〜文法など〜
Uusi kielemme
http://www.uusikielemme.fi/index.html
フィンランド語文法に関して英語やスペイン語で解説したページ。私のサマースクールの先生(ベルギー人でフィンランド語が母国語ではない)が運営している。すごくすっきりと文法事項がまとめてあって、分かりやすい。
2014年2月11日火曜日
良き思い出は心の宝
花嫁のれんっていう東海テレビの昼ドラがあります。
舞台は金沢の老舗料理旅館でそこに嫁入りしたよそ者の若女将がいろんなハプニングを乗り越えるっていうとてもよくあるわかりやすい昼ドラです。
その中で野際さん演ずる女将がよく言う言葉に、
「良き思い出は心の宝」という言葉があり、このドラマの軸テーマになっているような感じです。
第二シーズン最終回では人生の苦しみや厳しさがあるからこそ、良い思い出は宝となりうるという話がありました。
こういう言葉もよく目にしますよね。
でも最近20年生きて来てちょっとだけ身をもってそのことが分かるようになって来た気がします。
就活のことをぼんやり考え始めいろんな採用情報を眺めていたりしますが、
僕はどうもサービス業や接客業に興味がありそうだなと思っています。
自分以外の人の良き思い出に立ち会いたい。協力したいというおせっかいな気持ちが強いように思います。
パーティーとか他人の旅行とか、博物館の展示とか、見る人訪れる人がどうやったら楽しく過ごせるのか考え、フォローすることを考えることはかなり好きです。旅行の計画を考えるのが旅行よりもドキドキするという人は結構いると思いますが、僕は自分以外の人のことを考えながら計画するのも結構好きです。
ただ、これまでいろいろ失敗したなと感じたことも多々あります。
その失敗の多くが、相手の立場に立っていない、相手がなにを求めているのか見えていないことが原因ですね。
それって突き詰めれば、「相手は何を考えているか」になると思うのですが、それってとても分かりにくいし、常に変化していることでもあります。
舞台は金沢の老舗料理旅館でそこに嫁入りしたよそ者の若女将がいろんなハプニングを乗り越えるっていうとてもよくあるわかりやすい昼ドラです。
その中で野際さん演ずる女将がよく言う言葉に、
「良き思い出は心の宝」という言葉があり、このドラマの軸テーマになっているような感じです。
第二シーズン最終回では人生の苦しみや厳しさがあるからこそ、良い思い出は宝となりうるという話がありました。
こういう言葉もよく目にしますよね。
でも最近20年生きて来てちょっとだけ身をもってそのことが分かるようになって来た気がします。
就活のことをぼんやり考え始めいろんな採用情報を眺めていたりしますが、
僕はどうもサービス業や接客業に興味がありそうだなと思っています。
自分以外の人の良き思い出に立ち会いたい。協力したいというおせっかいな気持ちが強いように思います。
パーティーとか他人の旅行とか、博物館の展示とか、見る人訪れる人がどうやったら楽しく過ごせるのか考え、フォローすることを考えることはかなり好きです。旅行の計画を考えるのが旅行よりもドキドキするという人は結構いると思いますが、僕は自分以外の人のことを考えながら計画するのも結構好きです。
ただ、これまでいろいろ失敗したなと感じたことも多々あります。
その失敗の多くが、相手の立場に立っていない、相手がなにを求めているのか見えていないことが原因ですね。
それって突き詰めれば、「相手は何を考えているか」になると思うのですが、それってとても分かりにくいし、常に変化していることでもあります。
2014年1月27日月曜日
考えの変化
このブログの最も読まれている記事一位に未だ居座っているこちらの記事
http://ukihoku.blogspot.fi/2012/08/blog-post.html
ですが、今は少しずつ根本の考え方が変わって来たな、と感じでいます。
そもそも幸福ってなんだ?
幸せってなに?
って考えるようになった。
刹那的に「いいなー」とか「幸せ」 とか「安らぎ」とかを感じることはあるけれども、
それって幸福なのだろうか?
安全で安定していることは不安定から見れば幸福なのかもしれないけど、その状態のさなかにいると気がつきにくいよね。むしろ気がつかないからこそ、心の平安があり安定しているのかもしれない。
べつに幸福が無くても、大きな幸が無くても、生きていれば嬉しいな。
と最近考えています。
http://ukihoku.blogspot.fi/2012/08/blog-post.html
ですが、今は少しずつ根本の考え方が変わって来たな、と感じでいます。
そもそも幸福ってなんだ?
幸せってなに?
って考えるようになった。
刹那的に「いいなー」とか「幸せ」 とか「安らぎ」とかを感じることはあるけれども、
それって幸福なのだろうか?
安全で安定していることは不安定から見れば幸福なのかもしれないけど、その状態のさなかにいると気がつきにくいよね。むしろ気がつかないからこそ、心の平安があり安定しているのかもしれない。
べつに幸福が無くても、大きな幸が無くても、生きていれば嬉しいな。
と最近考えています。
2014年1月26日日曜日
日記
やはり日記的にこのブログを書いていこうと思う。
最近一日開いていると部屋の中で籠ってしまうことが多い。
寒いからからかな?
僕はとても影響されやすく、熱しやすく冷めやすいんだけど。それによってとても困ることも多いし、まあそれでいいのかなーと思ってることも多い。そしてよく達観したコメントを他人にしてしまいがちだけど、本人は些細なことでくよくよしてしまうことが多い。例えば、人に嫌われたくないとか、もっとすかれたいけど、どうすれば良いか分からないときとか、どうしようもなく、引きこもってしまって、一人でさみしくてどうしようもないときとか。
高校生のときにゴロゴロしながら気がついた、どうあがいてもどうにもならないんだなという気づきに結局戻ってくるわけで、そして、自分の気持ちには出来るだけ正直になれば良いけど、他人の気持ちはどうしようもないということにも戻ってくるんだよね。
ただそれで満足、というか、私は私でしかないし、無理に刺激を求めたりしないで満ち足りていればそれで万事オッケーな訳であるけど、そうは僕の問屋が下ろさないらしい。
どうしても「もっと」楽しいこと、「もっと」すかれる人、「もっと」いろんな人に会いたいし愛され、認められたい!と感じてしまいます。(きっとこの気持ちが文末の表現変化に影響したのだろう)
無欲な自分と刺激を求める自分。仙人と芸術家が自分の中にいてとっても困る。
どっちかにしてくれたらもっと人生楽なんだろう。
みんな何かを押さえて人生送ってるんだろうか?
よく耳にする僕に対する評価で「自由に生きてるよね」という事があるが、僕には到底信じられない。かなり抑制して、一般人の仮面をかぶり(汗でずれるけど)精一杯社会に合わせようとして生きているのに…だから僕は外国にいることが比較的好きなのかもしれない。本当に基本的なことさえ出来れば、よっぽどのことが無い限り殺されたりはせず、「ああ外国人だからしかたないよね」で片付けてもらえるからだ。しかし、ここ数ヶ月フィンランドに住んで、もっと深く理解してほしい!僕を発信したい!と面倒な欲望を感じ始めているもの確かではあるが。
でも結局、「めんどくさがりな自分」(最強キャラ)が出て来て何もせずにだらだらと時間を過ごしてしまう。そのことに後悔してみたりもする。そんな状況の時、僕の仙人は遠くの方に行ってしまっていて姿が見えない。
この後悔がどうしようもなく強くなり、胸が締め付けられるようになると、仙人がふと現れて、神に祈るよう要求してくる。
そうすると宇宙は広かったんだと気がつき、まあ楽になる。
いま自分の主な心の動きを考えてみたけど、我ながら堂々巡りをしているなーと感じる。
そしてこんな風に考えていたことはすぐに忘れてしまうのである。
お気楽なのか、繊細なのか、単なるめんどくさがり人間なのか。
忘れないためにここに書いておきたい。
最近一日開いていると部屋の中で籠ってしまうことが多い。
寒いからからかな?
僕はとても影響されやすく、熱しやすく冷めやすいんだけど。それによってとても困ることも多いし、まあそれでいいのかなーと思ってることも多い。そしてよく達観したコメントを他人にしてしまいがちだけど、本人は些細なことでくよくよしてしまうことが多い。例えば、人に嫌われたくないとか、もっとすかれたいけど、どうすれば良いか分からないときとか、どうしようもなく、引きこもってしまって、一人でさみしくてどうしようもないときとか。
高校生のときにゴロゴロしながら気がついた、どうあがいてもどうにもならないんだなという気づきに結局戻ってくるわけで、そして、自分の気持ちには出来るだけ正直になれば良いけど、他人の気持ちはどうしようもないということにも戻ってくるんだよね。
ただそれで満足、というか、私は私でしかないし、無理に刺激を求めたりしないで満ち足りていればそれで万事オッケーな訳であるけど、そうは僕の問屋が下ろさないらしい。
どうしても「もっと」楽しいこと、「もっと」すかれる人、「もっと」いろんな人に会いたいし愛され、認められたい!と感じてしまいます。(きっとこの気持ちが文末の表現変化に影響したのだろう)
無欲な自分と刺激を求める自分。仙人と芸術家が自分の中にいてとっても困る。
どっちかにしてくれたらもっと人生楽なんだろう。
みんな何かを押さえて人生送ってるんだろうか?
よく耳にする僕に対する評価で「自由に生きてるよね」という事があるが、僕には到底信じられない。かなり抑制して、一般人の仮面をかぶり(汗でずれるけど)精一杯社会に合わせようとして生きているのに…だから僕は外国にいることが比較的好きなのかもしれない。本当に基本的なことさえ出来れば、よっぽどのことが無い限り殺されたりはせず、「ああ外国人だからしかたないよね」で片付けてもらえるからだ。しかし、ここ数ヶ月フィンランドに住んで、もっと深く理解してほしい!僕を発信したい!と面倒な欲望を感じ始めているもの確かではあるが。
でも結局、「めんどくさがりな自分」(最強キャラ)が出て来て何もせずにだらだらと時間を過ごしてしまう。そのことに後悔してみたりもする。そんな状況の時、僕の仙人は遠くの方に行ってしまっていて姿が見えない。
この後悔がどうしようもなく強くなり、胸が締め付けられるようになると、仙人がふと現れて、神に祈るよう要求してくる。
そうすると宇宙は広かったんだと気がつき、まあ楽になる。
いま自分の主な心の動きを考えてみたけど、我ながら堂々巡りをしているなーと感じる。
そしてこんな風に考えていたことはすぐに忘れてしまうのである。
お気楽なのか、繊細なのか、単なるめんどくさがり人間なのか。
忘れないためにここに書いておきたい。
2014年1月16日木曜日
満月
満月がとてもきれいだ
昼間おさぼり気味の太陽とちがって
月はてっぺんまで登って来てくれる
白い雪に跳ね返る白い光
うっすらと浮かび上がる森
たき火を焚いて、踊るかげ
透明である、不安と安心
冷たさの、心地よさと痛み
昼間おさぼり気味の太陽とちがって
月はてっぺんまで登って来てくれる
白い雪に跳ね返る白い光
うっすらと浮かび上がる森
たき火を焚いて、踊るかげ
透明である、不安と安心
冷たさの、心地よさと痛み
2013年12月11日水曜日
あいまいさと無責任と信仰
今日初めてムーミンの博物館に行ってみた!そこにあったパンフレットに載っていた、良い言葉。好きな感覚だな。
"Ajattelen juuri parhaillaan revontulia. Ei voi tietää, ovatko ne olemassa vai näkyvätkö ne vain. Kaikki on hyvin epävarmaa, ja juuri se tekee minut levolliseksi." -Tove Jansson, Taikatalvi, Tuutikki
「オーロラって、本当に存在しているのか、それとも見えているだけなのか、よくわからないなあ……。ものごとって、すべて、とてもあいまいなのよね。でも、だからこそわたし、安心していられるの」(たぶんムーミン谷の冬より引用)
“All things are so very uncertain, and that’s exactly what makes me feel reassured.” - Too-Ticky from Tove Jansson’s Moomin books
(パンフレットは最後の部分だけだし、言葉が若干違うけど、wikiに載っていたのを転載)日本語、英語もネットから拾い集めた。便利な時代…
ここまでFacebookに書いたことのコピペです。
この感覚、安心できる感じとても共感できるし、いいなーって思う。
それと同時に最近ってどんどん効率化されてそういうあいまいなことって意味の無いこと価値がないことのようになされているのかな?と一瞬考えた。
でもそれって、僕がただあいまいさに溺れることで無責任な自分を正当化させたいだけ?とも考えた。
最近出来ないことが多くてもどかしい。経験上ここで踏ん張れば成長できるんだろうけど、つらいからあきらめちゃう。
そんな次元とは違うことなのかな。このあいまいさって。あいまいさに身を委ねることって。
ヤンソンさんが言っているあいまいという意味、これは全てがきっちりしていて分かる状態の反対のことを言うのだろうな…英語のuncertainに近い感じ?
きっと前半で語った責任とかそういう薄っぺらいことではなくて、オーロラみながら言ってるんだから世界の認識的な話だろうな。
物事はとてもあいまい、不確定、不確実。
だから安心できる。
あるかないか分からないものにゆだねる。だから安心できる。
"Ajattelen juuri parhaillaan revontulia. Ei voi tietää, ovatko ne olemassa vai näkyvätkö ne vain. Kaikki on hyvin epävarmaa, ja juuri se tekee minut levolliseksi." -Tove Jansson, Taikatalvi, Tuutikki
「オーロラって、本当に存在しているのか、それとも見えているだけなのか、よくわからないなあ……。ものごとって、すべて、とてもあいまいなのよね。でも、だからこそわたし、安心していられるの」(たぶんムーミン谷の冬より引用)
“All things are so very uncertain, and that’s exactly what makes me feel reassured.” - Too-Ticky from Tove Jansson’s Moomin books
(パンフレットは最後の部分だけだし、言葉が若干違うけど、wikiに載っていたのを転載)日本語、英語もネットから拾い集めた。便利な時代…
ここまでFacebookに書いたことのコピペです。
この感覚、安心できる感じとても共感できるし、いいなーって思う。
それと同時に最近ってどんどん効率化されてそういうあいまいなことって意味の無いこと価値がないことのようになされているのかな?と一瞬考えた。
でもそれって、僕がただあいまいさに溺れることで無責任な自分を正当化させたいだけ?とも考えた。
最近出来ないことが多くてもどかしい。経験上ここで踏ん張れば成長できるんだろうけど、つらいからあきらめちゃう。
そんな次元とは違うことなのかな。このあいまいさって。あいまいさに身を委ねることって。
ヤンソンさんが言っているあいまいという意味、これは全てがきっちりしていて分かる状態の反対のことを言うのだろうな…英語のuncertainに近い感じ?
きっと前半で語った責任とかそういう薄っぺらいことではなくて、オーロラみながら言ってるんだから世界の認識的な話だろうな。
物事はとてもあいまい、不確定、不確実。
だから安心できる。
あるかないか分からないものにゆだねる。だから安心できる。
2013年10月14日月曜日
最近のツイッター炎上って・・・
なんかひどすぎるなと感じます。
馬鹿をやっている人だけでなく、それを制裁しようとする人・・・
ネットに公開し(密告)、制裁をする(店が閉店したり・・・)。
これって私刑じゃない?
とおもって検索してみたら、すでに書いている人いました。
インターネットと「私刑化」する社会
藤代 裕之 | ジャーナリスト
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujisiro/20130626-00025974/
そしてこの記事の中には糸井さんの2007年の予言のような記事のリンクが
「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる
なるほどねー
馬鹿をやっている人だけでなく、それを制裁しようとする人・・・
ネットに公開し(密告)、制裁をする(店が閉店したり・・・)。
これって私刑じゃない?
とおもって検索してみたら、すでに書いている人いました。
インターネットと「私刑化」する社会
藤代 裕之 | ジャーナリスト
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujisiro/20130626-00025974/
そしてこの記事の中には糸井さんの2007年の予言のような記事のリンクが
「屁尾下郎」氏のツッコミが世の中を詰まらせる
糸井 重里
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071023/138300/?rt=nocntなるほどねー
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