2015年10月21日水曜日

手紙というもの

文章を書くということ、とても責任の重いことである。しかし、人間の歴史においては大変特殊な行為ではないだろうか。人間はかつて無文字社会に生きていたとすれば、口から発せられる音によるコミュニケーション、つまりその場ですぐに消えてしまうやり方を基本に人間は生きてきたといえるのではないか。要するに、書き言葉ではなく話し言葉が人類の基本なのではないか。

それに対して、一定時間残り続けるものに文字を書き、人に伝えるということは比較的新しいやり方である。口からでる言葉ならば瞬間瞬間で消えてしまうが、文字は残り続ける。つまり発信者の身体から離れたところ、発信者の文脈から乖離した場所で意味を残し続けるものなのである。

手紙を書いている瞬間は、そのときの気持ちや感情を、そのとき思ったまま書き付ける。しかし、いったん書き終えてしまうと、そのとき思った気持ちではなくなっている自分に気がつくのである。そしてその手紙を読むという行為も、書き手の文脈からは離れた場所で行われるのである。よっぽど読み手に書き手への配慮がない限り、どのような背景で、どのような気持ちで文章を書いたのかな?などと読み手は想像しないし、読み手は書かれた文章しか見ることができないので、そのような書き手の背景はわかるわけがない。読み手は書かれたものから判断するしかないのだ。

そのため、手紙を書くこと、文章を書くことには相当の責任と気概が求められると思う。文字はとても強力なので、いとも簡単に相手のことを傷つけたり、文意を誤解されたりしてしまう。そして文章自体は書き手のイマ・ココの文脈から乖離しているのに関わらず、書き手は文章に対して責任を持たなければならない。


手紙に封をする行為はそのことを象徴しているかのようだ。


それまで書き手の手に密着していた便箋を、封筒に入れ、糊付けをすることで、書き手の文脈から完全に離れ、手紙というものが完成する。

書き手は封筒によって隔てられてしまう言葉に責任を持たなければならない…

僕は手紙を書くことは結構好きだが、封をする段階になって毎回躊躇する。それは手紙を書くときに下書きを書いたり、推敲しないことが問題なのかもしれない。いや、たぶんそれがかなりの問題であると思う。ああ、もっと推敲したほうがいいのだろうな。自分にとっても相手にとっても。

ああ、推敲…

2 件のコメント:

  1. 仕事でメール送るときチェックにめちゃめちゃ時間かかるわ!

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    1. 151551さん
      コメントありがとうございます。すばらしい心がけだと思います。僕はメールだとそんなに推敲せずに送ってしまって、後悔する事が多々あります。今後気をつけようと思います・・・

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