2015年10月22日木曜日

ウラとオモテ

<この記事は2015年6月に書いたものです>

当然と言ってしまえば当然なのだが、人が自分に見せる姿と違う姿を目にすることは、色んな意味でショッキングである。

それはいい意味でショッキングであることもあるし、悪い意味のときもある。

まあ、いい、わるいっていうのも個人的な問題であって、社会的にどうこうってことではないんだがね。



しかし、なぜ私達は一貫性を求めるのか?


裏表がない人とは「いい」人なのであろうか?ちょっとそこは分からない。




もし、明らかに自分に接する時よりも、幾分かリラックスした表情をしていたり、話すトーンが違ったりすると、なんだか自分が軽視されたような、結局蚊帳の外だったのかよ的なつまらない感情がわいてしまう。

多分、正解は、「あ、使い分けていらっしゃるんだな」と、思えばいいんだと思う。


他の人に向ける態度を自分にも向けてほしいと思うことは甚だ自分勝手なものである。




ここまで言って、でも、裏表がない、誰に対しても平温に見える人に対して安心してしまう。


それは私が損をしていないことに対する証明を得るだけの事なのかもしれない。


だって、誰に対しても平温なんて人間としてちょっとありえないし、ともすれば感情のない人ということになってしまう。ただそれが、どの程度の差なのか、それが表面化しやすいのか、その差なのである。





自分はとことん嫉妬深いなと笑ってしまう。

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