カフカとカミュを混同していた大学一年生の自分を叱ってやりたい。
カミュの言葉1「貧者の記憶というものはもうそれだけで裕福な者の記憶ほど充実していない。なぜなら貧者は滅多に生活している場所を離れないので空間における指標が少ないからだし、また一様で、灰色の生活の時間の中にも指標が少ないからである... 2へつづく
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 1
カミュの言葉2「...もちろんこの上なく確実だと言えるような心の琴線に触れる記憶もあるのだが、心が苦しみや労働ですり減ってしまうので、疲労の重みの下で、それもすぐに忘れられてしまうのだ。失われた時が蘇るのは裕福な者のうちでしかない... 3へつづく
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 1
カミュの言葉3「...貧者にとっては、失われた時はただ死に向かう道の漠とした道標だけである。それに、首尾よく耐えていくためには、あまりたくさんの記憶は必要ない。彼の母親が恐らくやむを得ずそうしていたように、一時間一時間過ぎ去る日々にぴったり身を寄せている必要があった。」4へ続く
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 1
カミュの言葉4 出典『最初の人間』アルベール・カミュ、大久保敏彦訳 新潮社 1996 p.78 そう…貧しいものにとって記憶、言葉は無視できるものとなりうる。特に正直で一生懸命な貧しきものにとっては。
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 1
性懲りもなく、カミュの言葉「そしてかくして知ったのだった。一人の人間に勝つことは相手に負けることと同じくらい苦いものだから、戦争はよくないということを。」(アルベール・カミュ『最初の人間』1996新潮社 p.141)
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 3
カミュの言葉「貧乏な子供がときとして、決して何かを羨んでいるわけではないにしろ、恥ずかしさを感ずることががあるということをどうして理解してもらえるだろうか?」」(アルベール・カミュ『最初の人間』p182新潮社1996)
— Yu m (@ukihoku) 2015, 8月 7
・『最初の人間』アルベール・カミュ 大久保敏彦訳 新潮社1996
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