2017年8月5日土曜日

「めっちゃセクシズムじゃん」

「めっちゃセクシズムじゃん」


ここ(エチオピアの村)で行われていることを特になにも考えずにチャットで伝えたら、上記のようにコメントされ驚いた。でも、よくよく考えれば確かにそうだ…


そのとき伝えたこととは、女性や子供は基本的に同じ皿から食べ物を食べないし、調理や配膳は女性の仕事だということ。例外として、誰もお客さんが来る予定もなく、家族だけの食事は、妻だけ夫や私と同じ皿から食べ物を食べることもある。


普段は夫(家主)と客である私は椅子に座りテーブルの上の皿から食べ物を食べるのに対して、女性(妻や嫁)や子供たちは地べたに座り、地べたに置いた皿から食べ物を食べる。食べ物の分配も常にテーブル組が優先され、女性や子供は後回しだ。


最初こそ驚いたが、一ヶ月という時間が経つうちに慣れてしまい、僕にとっても普通の事になっていたのだ。だからセクシズムじゃん!と言われて驚いたのだ。



初めてその光景を目にしたとき、「地面で食べるとはなんと屈辱的」と思った。ただ最近は地面で和気あいあいと食べる方が楽しそうと思うことが多い。普段の食事でテーブルで食べることが許されているのはホストファザーである夫と私だけなので、どちらかが居なくなると一人だけテーブルで食べることとなる。一人テーブルでご飯食べながら、地べたで楽しそうにご飯を食べている様子を見るのはなんだか寂しい。それはホストファザーも感じているようで、ホストファザーが遅く帰ってくると、たとえ僕が先にご飯を食べ終わっていたとしても「一緒に食べよう」と言われ、二回目の食事をすることが多々ある。


子供の中でも年齢の差より性差の方が優先的に考慮される。つまり3歳の男の子供は12歳の女の子供よりも優先される。3歳の男の子供が姉に命令するのに驚いたのだが、そのことに驚くほど自分が年功序列的な価値観を身に付けていることに対して二重に驚いた。


階級、身分による差別って、こういうことか!とふと思う。そして「屈辱的」と感じたのはどこの誰なんだろうとも、ふと思う。


今一度、日本の私の周りの環境から真っ直ぐにまなざすと、なるほど確かに、この状況はセクシズムなんだろう。日本での僕は女性差別には反対の立場である。

かといって、僕が進んで地べたで食べたり、大きいテーブルを買ってきて全員着席することを求めることを、やりたいとは思わない。というかやるべきではないだろう。私が考える「正しいこと」を実践することは、彼らが女性と、男性を差別することよりも暴力的だと思ってしまう。


暴力的だと感じるのは私が外国人だからなのか、人類学の調査者だからなのか、男性だと社会に認められているからなのか、それらすべてによってなのか。



そんなことを考えるのは、彼らの知恵、文化、技術、価値観、を学ばせてもらいに来ているのだから、謙虚にあろうとする模範的学生としてのポーズなんだろうか。


わからない。難しい。


そんなこんなで、結局今日も肘掛けつきの椅子に座っている。

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