2012年8月8日水曜日

不幸は蜜の味、幸せは努力

なんか今日の記事は過激的で、まとまってなく(いつものこと)
人によっては気分を害する内容だと思います。

心を乱されたくないな~と思う人は
読まないでね☆









~不幸は蜜の味、幸せは努力~



ここで言う不幸は、他人じゃなくて自分のことだよ。

俺が一番嫌いで、なりたくないと思っているのは、「自分がかわいそうで泣いちゃう人」



生まれたときから恵まれた環境に生きていて、食べるのにも苦労して無いし、
命の危険にさらされたことがあんまりない、ぬるま湯に浸かってきた僕が言うと説得力ないけど、
 

人間が幸せとか、不幸せとかって、どれだけ恵まれた環境にいるか
ではないと思うんだよね。

逆に言えばどれだけ不遇でも幸せでいれるだろうとさえ思う。



苦痛や悲しみを忘れよう、昇華させようとする努力、幸せになろうという努力、
幸せであろうとする努力、こそが真に人を幸せにさせるんじゃないかなぁ。



何の行動も起こさずに


「不幸な自分ってかわいそう」
「何で誰も助けてくれないの」
「こんなに苦労しているのに」
「私を認めない人が恨めしい」
「周りの人のせいで、不幸なままなんだ私は」


って考えるのは、なんの努力もいらないし、とってもお手軽に「幸せ」になれる方法
なのかもしれないね。


不幸自慢をして、かわいそうな自分に浸ってる間は、何もしなくても自分を正当化できるしね。


そして、自分の不幸さを周りの人、上司、社会、境遇のせいにして、それらを恨めば
自分は何も悪いことをしてない、一方的に不幸にさせられてるんだって思うことができる。



それって何も生まないし、何も変わらない。


そんな人に「同情してよ~」って言われても。ねえ?


こっちだって人生を一生懸命生きてるのに、
何の努力もしてない
自分がかわいそうで涙が出ちゃう人に同情なんてできないなぁ。



でも、厄介なことに、

そういう人に「それは違うよ。自分が可哀そうなんでしょ?努力したくないだけでしょ」って言うと

「不幸な私をさらに責めるのか!!むかつくなお前」

ってなるんだよね。こまったなあ。



現状なんて「死ぬ気」で努力すれば、すぐに変わってしまうのに。



死ぬほど辛かったら、苦しかったら、死なないように、そこから抜け出そうとするのが人間だと思う。



それができないのは、「死ぬ」ほど辛くないか、不幸に浸ってるのが気持ちいから
もしくは両方だからだと思うんだよね~



とわめき散らかしたかっただけです。お目汚し失礼しました。





 なんか、最後の方とか論理的に問題ありそうだけど、ま、いっか。
基本的スタンスは書けたと思う。

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